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明治の竹島、アシカ猟の肉を肥料で販売 日本が持続的に支配

 わが国の領土でありながら韓国による不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)で、明治44(1911)年に隠岐の島の住民らが捕獲したアシカの肉が肥料に加工され、鳥取県境港の肥料商に販売されていたことが9日、島根大の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授(歴史地理学)らのグループによる調査でわかった。アシカ猟は竹島が38年に島根県に編入される以前から、隠岐や鳥取県赤碕の住民が行っていたことが判明している。外務省は「領有権の問題は客観的事実に基づくことが大切。今回の成果はその積み重ねのひとつ」と評価している。

 舩杉准教授らが調査したのは、竹島への猟や漁の拠点として島根・隠岐に設立された会社の「竹島漁猟合資会社 生産品勘定帳」。この中で明治44年にアシカの肉を加工した肥料が、境港の肥料商に販売された記述を確認。弓ケ浜半島(鳥取県)特産の伯州綿(木綿)の原料となる綿作に使われていた可能性が高いことが分かった。これまでアシカの皮や油の用途は判明していたが、肉の具体的な用途が分かったのは初めて。

 竹島はかつてニホンアシカの繁殖地として知られ、江戸時代には米子(現在の鳥取県米子市)の商人がアシカ猟を行っていたことが分かっている。舩杉准教授によると、江戸時代から明治期にかけて韓国が竹島で行政権を行使した記録はないという。

 舩杉准教授らは、領土問題の調査研究などを行う日本国際問題研究所の委託で、竹島の島根県編入前後の漁業実態の調査を行っている。同研究所は「島根県編入後も猟が継続的に行われ、日本が持続的に竹島を実効支配していた明確な証拠」としている。

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