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広瀬香美さん「帰国しても何も感じない。日米の差がなくなった」 冬の女王20年(上)
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澄み切った冬空のように突き抜ける高音、パワフルな声の広い音域。「冬の女王」の愛称で親しまれるシンガー・ソングライターの広瀬香美さんは、デビュー20周年を迎えた。現在は日本と米ロサンゼルスに拠点を持ち、両国を行き来しながら作品を発表し、そして音楽学校の校長として後進の指導にも力を入れている。(文・櫛田寿宏)
広瀬 ひどかったんですよ、20年前のロサンゼルスの食料事情は。豆腐は売っているんですが、水気がなくってパサパサ。納豆は粘り気なし。白米もおいしくない。仕方がないので、毎日メキシコ料理のブリトーを食べていました。ブリトーの皮で生野菜を巻いて食べるんです。本当にそれだけ。今はおいしい豆腐も納豆もようかんも手に入ります。この前、ロサンゼルスの友達が「いかしたカレー屋ができた」って言うんです。一緒に行ったら、日本の街角にたくさんある有名なチェーン店でした。そこに行列ができていたんですよ。
広瀬 メジャーリーグの試合を、ごくごく普通に観戦しています。大スターのコンサートだって、日常的に開かれていますし。よくニューヨークにも遊びに行きます。大好きな街です。ブロードウェーでミュージカルを見たり、美術館巡りをしたり。夏はカナダが涼しくていいですね。メキシコは近すぎて、外国っていう感じがしません。
広瀬 特に何も感じませんよ。いろいろな意味で日本とアメリカの差がなくなっているので、普通に往復していますね。大きなスーツケースなんて持たないで、体一つで飛行機に乗ってしまいます。インターネットで情報を多くの人と共有できるし、どこにいても知りたいことを知ることができますしね。
--そもそもなぜロサンゼルスなんですか
広瀬 大学2年生のころからロサンゼルスと東京を往復する生活が始まりました。当時、日本の音楽大学で作曲の勉強をしていたのですが、どうしてもクラシック音楽になじめないでいました。あのころは、人生はつまらなくてもしようがないって考えていたんですよ
広瀬 そんなときにロサンゼルスに留学していた友達のもとを訪ねたんです。マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンの全盛期です。20ドルくらいの安いチケットを手に入れてコンサートに行きました。それで感じたんです。「この音楽だね、私がやるのは」って。初めて音楽の楽しさを感じて、「マイケルに曲を提供したい」と思いました。
広瀬 帰国してすぐに親に「大学を辞めさせてください」ってお願いしました。卒業だけはするように説得されたので、「単位は取得して卒業するから、好きなことをさせて」ってお願いして。
広瀬 マイケル・ジャクソンのボイストレーナーを務めたセス・リッグスさんが開いている教室を見つけたんです。すぐに応募しました。マイケルに曲を提供したいという一心でだったんです。すると「君は面白い声をしているから、歌の練習をしなさい」って言われました。それでポップスの作曲と並行して歌の勉強も始めることになりました。
広瀬 ええ、作曲は、半年ほどで終了しました。歌のレッスンは3年ぐらい受けました。広いロサンゼルスでいいトレーナーに出会えたのは奇跡です。あとは、若さゆえの無鉄砲さがあったので幸運をたぐり寄せることができたのでしょうね。
ひろせ・こうみ 昭和41年、福岡県生まれ、46歳。5歳のときからピアノを始めた。国立音楽大学在学中にポップスに開眼。平成4年にアルバム「Bingo!」でデビューした。6年に「ロマンスの神様」が大ヒットした。デビュー20周年の今シーズン、アルバム「And.Love.Again.」を発表した。