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【ビジネスアイコラム】石油危機40年 教訓は生きているのか
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その日、イスラエルは「贖罪(しょくざい)の日」で祝日だった。同国軍が支配していたスエズ運河東岸が突然の轟音に包まれた。対岸に進出したエジプト軍が空と陸から大規模攻撃を仕掛けたのだ。1973年10月6日午後2時。「砂漠の戦車戦」とも呼ばれた第4次中東戦争が勃発した。
この戦闘序盤で劣勢を強いられたイスラエル軍が数日で戦線を立て直すと、アラブ諸国が次に打ち出したのが石油戦略だった。アラブ側は戦闘開始から10日後、原油価格を一方的に70%引き上げた。
さらに、イスラエルを支援する米国とオランダに全面禁輸を通告し、アラブの友好国と認定しなかった国に対する供給削減も決めた。世界に「アラブかイスラエルのどちらに味方するのか」と踏み絵を迫ったのだ。
長年にわたって1バレル=3ドル程度で推移してきた原油価格は、10ドル超に急騰して日本経済を直撃した。戦争翌月の11月には大阪市のスーパーで特売のトイレットペーパーが品切れとなったのが発端となり、全国で買いだめ騒動が広がった。電力使用制限令が初めて発動され、街のネオンが消えた。テレビ局は深夜放送を休止し、ガソリンスタンドは日曜営業を中止した。
この石油危機で日本の高度成長は完全に終わった。中東の戦闘は20日間で終わったが、日本にはモノの値段が大幅に上がる「狂乱物価」が吹き荒れた。74年の物価上昇率は23%を記録。一方の経済成長率は戦後初めてマイナスに転じた。
当時の日本の石油備蓄は、民間による70日分だけだった。石油危機を踏まえて国家備蓄が始まり、現在の備蓄量は官民で180日分に増えた。中東への原油依存を脱する見直しが図られ、「脱中東」と「脱石油」がエネルギー戦略の目標となった。
原発の推進も石油危機が契機となった。原発立地を進める電源3法が制定され、危機前に9割に達していた火力発電の一極集中からの見直しが進んだ。
こうして原発は電力の3割を担うまでになったが、福島第1原発事故で原発が相次ぎ停止し、日本のエネルギー事情は40年前の水準に戻った。
いま再び火力発電は電源構成の9割を占め、原油の中東依存は8割を超えた。「ホルムズ海峡の閉鎖」が囁(ささや)かれるたびに原油価格は上昇し、日本経済を揺さぶる構図は変わっていない。石油の備蓄は増えたが、現在の火力発電の5割を担う液化天然ガス(LNG)の備蓄は20日分だけだ。ガスの大量備蓄には時間とコストがかかるからだ。
堺屋太一氏の大ベストセラー「油断!」が世に出たのは75年。73年には初稿ができていたが、本当の石油危機が起きて出版は一時見送られた。当時の最新シミュレーションで描かれたこの本では「中東大戦」でホルムズ海峡が200日にわたって閉鎖されると、日本では3年9カ月の太平洋戦争と同じ規模の人的・物的被害が生じると警告している。
あの石油危機の教訓は今も生きているのか。もう一度みつめ直す時を迎えている。(産経新聞論説委員 井伊重之)