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【九州の礎を築いた群像 西鉄編(3)】国際物流 「本社に顔向けいらん。世界で勝負しろ!」 業界のパイオニア 伝統は「攻めの経営」

ニュースカテゴリ:企業の経営

【九州の礎を築いた群像 西鉄編(3)】国際物流 「本社に顔向けいらん。世界で勝負しろ!」 業界のパイオニア 伝統は「攻めの経営」

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 「国際物流事業は地域マーケットビジネスと並ぶコア事業と位置づけている。縮小する日本市場における収益減少を、グローバル市場において補う成長モデルの中核事業なんです」

 5月16、17両日に福岡・天神の西鉄ホールで開かれた国際物流事業本部世界会議。西日本鉄道の第16代社長の竹島和幸(64)=現会長=は、西鉄国際物流事業本部傘下の海外法人幹部ら136人を前にこう力説した。

 西鉄は、福岡県を中心に鉄道やバス、都市開発などを手がける地域密着型企業とみられているが、国内から海外へ、あるいは海外から海外へ、航空機や船で荷物を運ぶ国際物流事業のパイオニアであることはあまり知られていない。50年前まではシェアトップを走り、現在も輸出部門では、日本通運や阪急阪神エクスプレスなどに続く5位につける。

 西鉄グループ内でのウェイトも大きい。平成24年度決算で国際物流事業本部の売上高は289億円で西鉄本体の21%を占め、鉄道事業を上回る。海外20の現地法人も含めた国際物流グループ「NNR GLOBAL LOGISTICS」では792億円となり、西鉄グループの23%に達し、まさに経営の屋台骨の1つだといえる。

 なぜ、地方の電鉄会社が、在京の大手企業を押しのけてグローバルな事業を拡大していけたのか-。

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 西鉄国際物流事業本部の前身となる「航空輸送課」が誕生したのは、戦後まもない昭和23年だった。

 前年の22年9月、世界最大の航空会社だった米パンアメリカン航空(パンナム)が、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の東京・羽田に就航した。

 これに伴い、パンナムが貨物の集荷や乗客手続きなどを担う国内代理店を探していたところ、GHQは「戦争被害が比較的小さかった」という理由で、西日本に拠点を置く西鉄、阪神電鉄、京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)、近畿日本鉄道の私鉄4社と日本通運(日通)を推薦した。

 パンナムは「西鉄には九州を任せ、関西は阪急、関東は直営企業に」という棲み分けを考えていたようだが、西鉄第5代社長、野中春三(故人)=第7代社長にも就任=は、鉄道省(現国土交通省)出身だけにこう考えた。

 「これからも西鉄が飛躍していくには地元・九州だけを見ていてはダメだ。市場が大きい東京や関西でも勝負しなければ成長できない…」

 運もよかった。日通が米ノースウエスト航空の代理店業務を請け負うことが決まったことから、パンナムにとって東京は空白地帯となった。国内最大手の東京急行電鉄(東急)が戦後の分裂劇の渦中にあったこともあり、西鉄は23年11月、パンナムの東京、関西、九州の3地区の代理店を請け負うことができた。

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 野中が福岡県出身であることに目を付け、鉄道省から招き入れたのは、第4代社長の村上巧児(故人)だった。

 村上は大阪毎日新聞記者などを経て、西鉄の前身である九州電気軌道(九軌)の第4代社長に就任した。九軌や福博電車など5社の合併を主導し、昭和17年に西鉄を発足させた。

 その村上が、心底悔しがったのは、戦時統制により、手塩にかけて育てた海運や発電など有望な事業を手放さざるを得なかったことだった。同時に国家権力の恐ろしさも思い知った。「失った事業を取り戻し、西鉄を再興させるには国家官僚の力が必要だ」と考えたに違いない。

 村岡は戦時中の18年7月、野中を西鉄副社長に就任させ、終戦直後の20年11月、社長の座を譲った。

 そこに降ってわいたのが、国際物流事業への参入問題だった。野中には「村上の恩に報いるチャンスだ」と思えたのだろう。

 「東京の物流事業も西鉄に任せてほしい。絶対に大丈夫です!」

 野中は鉄道省時代の人脈をフルに生かし、東京で根回しを続けた。日本通運への出向経験があり、物流事業に精通していたことも有利に働いた。

 西鉄が、福岡・天神に国際物流の営業所を開いたのは23年12月。翌24年1月には東京・銀座に、8月には大阪・淀屋橋にも営業所を開設した。

 最初に取り扱った荷物は、福岡発ロサンゼルス行きのツツジ11本、ツバキ2本の苗木だった。24年には日米親善の一大事業として、米国の動物園のピューマと、東京・上野動物園のタンチョウヅル、オオサンショウウオの交換輸送を担当した。

 戦後の混乱期、他の私鉄が本業の再建に追われる中、西鉄は国際物流で「攻めの経営」を続けた。26年にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本企業の民間航空機輸送が解禁されると、日本航空発足に際し、西鉄は出資し、役員を送り込んだ。27年には国際物流の本部機能を東京に移転し、パンナム以外の欧米・アジアの航空会社とも代理店契約を次々に結んだ。

 朝鮮戦争特需もあり、市場規模は急拡大した。西鉄航空輸送部門の27年度の売上高は2300万円(西鉄の0・4%)だったが、37年度は2億8600万円(同2・1%)に膨らみ、航空貨物輸送の取扱高トップを独走した。前年の36年には日通に続き、ニューヨーク駐在事務所を開設している。

 野中の後任の第6代社長、木村重吉(故人)は昭和33年の年頭あいさつで厳しい表情でこう語った。

 「独占性にあぐらをかくな! 航空貨物は東京地区が拠点にもかかわらず取扱高で業界1位になっている。私は航空社員たちの努力を評価しておる」

 すでに福岡県内の鉄道・バス事業で不動の地位を築いていた幹部社員の慢心を戒めたかったのだろう。

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 だが、西鉄の国際物流事業は、40年を境に失速し始める。背景には本業の不振があった。

 マイカー時代の到来により、収益の柱だった福岡、北九州両市での路面電車が赤字に転落したのだ。路面電車利用者はピーク時の昭和36年から10年余りで半減した。

 「航空機時代」が本格到来する時期に、国際物流事業への投資が抑えられてはライバル企業とは戦えない。47年の日中国交正常化で日中間の貨物・旅客需要の急増も見込まれたが、この事業拡大の機運にも乗り遅れた。

 加えて航空貨物の「単独混載事業」に取り残されたことも大きい。

 30年代までは、複数の荷主の荷物をまとめて運ぶ「混載」は、共同取り扱いが主流だったが、40年代以降、大手は1社で混載を担うようになった。ところが、当時の西鉄にその余力はなく、ライバル企業に急速に水を空けられた。

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 西鉄が国際単独混載に踏み切ったのは、58年3月だった。日本企業で5社目の参入であり、すでに国際物流の取り扱い量は業界5~6位に沈んでいた。遅きに失したといえる。

 国際物流事業が再び「攻め」に転じるのは、後に第12代社長となる大屋麗之助(90)が54年に専務となり、国際物流事業(当時は航空営業部)を統括するようになってからだ。

 「海外ではいくらでも伸びる余地がある。本社に顔を向けることはいらん。どんどん投資するから遠慮せずに世界と仕事をしろ!」

 大屋は航空営業部社員にハッパをかけた。大屋は技術職出身でバス事業などの運輸畑が長いが、国際物流を「運輸、不動産に続く第3の柱にしなければならない」と考えたのだ。

 西鉄は、単独混載進出に見合うだけの取り扱い量を確保するため、世界各国の有力な物流事業者で組織するWACOグループに加盟し、海外ネットワークを広げた。売上高は、57年度の50億円(西鉄本体の4・7%)が、翌58年度は138億円(同11・8%)にはね上がった。

 56年から英ロンドンに駐在し、平成3年に現地法人の初代社長に就いた高木栄二=現常務・国際物流事業本部長=も大屋の薫陶を受けた一人だ。

 「大屋さんはロンドンにも度々訪れ、家族も一緒に食事をごちそうになりました。いつも『思い切ってやれ』と励まされ、まるで独立会社のように我が道を行かせてくれました」

 大屋は昭和60年に社長就任すると、西鉄福岡(天神)駅周辺開発「ソラリア計画」を断行した。現在の西鉄の路線を敷いた人物と言っても過言ではない。

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 とはいえ、国際物流業界は現在、逆風にさらされている。ここ数年の円高により、国内メーカーの輸出が減ったからだ。昨年暮れの安倍政権発足後、円安が進んだが、すでに生産拠点を海外に移したメーカーも多く、輸出取り扱い量はなかなか戻らない。

 にもかかわらず、国際物流グループ(NNR)は、平成24年度の売上高792億円を27年度に1千億円にする強気の目標を掲げる。

 グループを率いる高木には勝算は十分ある。日本と海外の輸送に頼るのではなく、「ベトナムの製品を中国の消費地に送る」など、海外から海外への輸送事業を拡大するわけだ。

 そのために、22年にオランダ、24年にメキシコに海外現地法人を設立し、今後もフランスやオーストラリアなどで次々に発足させる。海外現地法人の売り上げを国際物流グループ全体の6割から7割に増やす方針だという。

 西鉄の国際物流の伝統は「攻め」。高木もそのDNAを受け継いでいる。

 「業界における西鉄の現在の立ち位置には全然満足していません。もっとグローバル化を進めたい。社長も社員も現地の人を採用し、NNRが日本企業だと世界で意識されないようにしたい。意外だと思われがちですが、西鉄は世界企業なんですよ。安心・誠実をモットーにするわが社の中で、私たちはときめきや創造を生み出したい…」

 西鉄国際物流事業本部は、本社の1部門ながら本部機能を東京に置き、社員も独自採用する「異端児」である。だが、近年の西鉄が掲げる「チャレンジ精神」が、もっとも浸透している部門だといえるのではないだろうか。

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