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トレンディードラマ「時代と作り手側の感性が重なり一大ムーブメントに」

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トレンディードラマ「時代と作り手側の感性が重なり一大ムーブメントに」

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【テレビ還暦60年】 

 おしゃれなロケ地、流行の最先端をゆくファッション、耳に残る主題歌-。平成初頭に一世を風靡(ふうび)したトレンディードラマは、華やかさや恋愛描写が若者の心を巧みにつかんだ。「トレンディードラマの生みの親」と呼ばれるフジテレビ常務の大多亮さん(54)は、「時代と作り手側の感性、高揚感が重なり、ムーブメントが生まれた」と振り返る。(本間英士)

 トレンディードラマが登場した時期はドラマ不況といわれ、特に若い女性の「ドラマ離れ」が指摘されていた。当時のフジでは、ドラマ制作から撤退し、制作会社に全て委託する案も議論されていたという。

 29歳だった大多さんは、「背水の陣」でプロデューサーを任された。野島伸司、坂元裕二ら当時20代の若手脚本家を次々に抜擢(ばってき)し、キャストも浅野ゆう子、浅野温子の「W浅野」や鈴木保奈美、織田裕二ら若手中心で固めた。

 時はバブル絶頂期。女性誌を山のように積み上げて参考にした。劇中の舞台を流行のおしゃれな店にしたり、衣装にスタイリストをつけたり…。

 「当時の街は猛烈にエネルギッシュ。若い人たちの青春や恋愛を捉えたかった」。大多さんが作ろうとしたのは「恋愛ドラマ」だった。

「すてきな片思い」転機

 若者はそのドラマ作りを熱く支持した。昭和63年の「抱きしめたい!」(最高視聴率21・8%)や平成元年の「愛しあってるかい!」(同26・6%)、2年の「世界で一番君が好き!」(同25・5%)などヒット作が続いた。

 だが、2年の「恋のパラダイス」で視聴率は同17・0%と大きく落ち込む。「次から次へとトレンディードラマは作られるけど、設定は大きく変わるわけじゃない。視聴者も飽和状態だったんだろうね」

 そこで、次作の「すてきな片思い」では、普通のOLとサラリーマンが通勤電車で出会い、恋をするという「地に足のついたトレンディードラマ」(大多さん)に思い切って転換。最高視聴率は26・0%に復活した。「潮目をうまく捉えられた。正直ラッキーだった」という。その後、「東京ラブストーリー」(同32・3%)、「101回目のプロポーズ」(同36・7%)へと続き、フジの連ドラは黄金期を迎える。

ファッションにも影響

 大多さんの初プロデュース作品は「君の瞳をタイホする!」(昭和63年)。当時、他局でもTBSの「男女7人夏物語」(61年)、日本テレビの「ハートカクテル」(62、63年)など都会的な男女の恋愛を描いたドラマはあった。しかし、その種のドラマをたたみかけるように連続で放送したのはフジが最初だった。「フジが連ドラでヒットを量産したことで『トレンディードラマ』という一つのジャンルが生まれた」とみる。

 トレンディードラマは音楽の使い方も変えた。それまで器楽曲中心だったのを、「東京ラブストーリー」ではここぞという場面で小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」を繰り返し流した。以後のドラマでこの手法は定番化する。

 さらに月曜9時に多くのトレンディードラマを放送したことで、「月9(げつく)」という呼称が定着し、ブランド化。ロケ地にはカップルが集まり、劇中に登場した服にも問い合わせが相次ぐなど、ファッションにも影響を及ぼした。

「当時と状況似ている」

 大多さんは7年に編成部に異動し、ドラマ作りの現場から離れた。バブル崩壊の影響もあり、視聴者は次第にトレンディードラマに共感を寄せなくなった。ただ、今月1日にはW浅野主演の「抱きしめたい!Forever」が放送され、日中合同でリメークされた映画「101回目のプロポーズ ~SAY YES~」が公開されるなど、“系譜”は今も生き続けている。

 大多さんは、今はトレンディードラマが勃興した時代と状況が似ていると指摘する。

 「『若い人はテレビを見ない、恋愛ドラマなんて当たらない』と言われた時代に、自分はあえてその逆を張って当てることができた。今の若い作り手には、逆を張ったり、『目立ちたい』という視点を持ってほしいな。もっとも、自分が恋愛ドラマばっかり推奨するから、周囲は困っているんだろうけど…」 (視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)

【プロフィル】大多亮

 おおた・とおる 昭和33年、東京都出身。56年、フジテレビ入社。第1制作部プロデューサーとしてドラマ「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「ひとつ屋根の下」などを制作。ドラマ制作センター室長、デジタルコンテンツ局長などを歴任し、平成24年から常務取締役。

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