【未来への伝言】古森重隆・富士フイルムホールディングス会長兼CEO(上)
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2000年代初め、写真フィルムのデジタル化が急速に進み、フィルムメーカーは「本業消失」とも指摘される急速な主力事業の縮小に見舞われた。日本を代表するフィルムメーカーだった富士フイルムホールディングスは、古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO)の強い指導力の下、危機を切り抜けてV字回復を果たした。カリスマ経営者を突き動かすパワーの源はどこにあるのか。これまでの経験と未来への思いを聞いた。
◆デジタル化でリード
《「フィルムの巨人」と呼ばれた米イーストマン・コダックが2012年、米連邦破産法11条の適用を申請し、富士フイルムと明暗を分けた》
「一般的には、市場に大きな変化が起きたとき、米国企業のほうが日本企業よりも素早く対応すると思われている。しかし、写真フィルム市場においてはそれが逆になった。私のところには、世界各国のメディアから取材が相次いだ。長きにわたり、リーディングカンパニーとして君臨してきたコダックに比べ、富士フイルムは挑戦者だったので、昔から積極的に多角化を進めていた」
《富士フイルムはデジタル製品の開発にいち早く、より深く、取り組んでいた》
「2000年以降の写真フィルム市場の縮小局面において、一方で拡大していたデジタルカメラ市場で先行して他社をリードし、かなりの売り上げを維持できた。そのことは、写真フィルム事業の収益の下落をある程度カバーしただけでなく、デジタル化の波を乗り切るための技術やノウハウを蓄積するという側面からも大変大きな意味を持っていた。また、デジタルカメラからカラー印画紙に写真をプリントするデジタルミニラボを展開していたため、写真店の数は減ったが、デジタルカメラ時代でもプリントサービスを続けることができた。これに対し、コダックはデジタルカメラ事業を自社で生産せず、OEM(相手先ブランドによる生産)で他社から供給を受けており、デジタル化時代に対応するスタートダッシュで大きな遅れとなった」
