全体をつかめてから細部へのスイッチをオンに ラグジュアリーブランドについて
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それにしても、どうして日本の人はもう本能のように、まず細かいところに目をいくのだろう。いき過ぎるほどにいってしまう。池に浮かぶボートの上でバランスをとらなくてはいけないシーンでも、舟の外側にまとわりつくゴミに気づくと、思わず身を乗り出してしまうのだ。
そして、ボートは沈をせずとも大きく揺れる。全体の均衡を失うのである。
だから「細かいところに目が行き届くのは美点であるが、全体のバランスをとるのが上手くない」という評価がどうしてもつきまとう。しかも全体への感覚がないと、この評価の意味が本当に理解できない。
今までウンザリするほどに、こういう「細部と全体の比重」について議論がされてきた。その理由も色々と解説されてきた。ぼく自身も講演会などで何度も話し、文章にも書いてきた。
全体像を掴むのは三者の関係を知ることだとか、三つの視点をもって状況を掴むのがコツであるとか、細部と全体を結ぶ工夫が必要であるとか。
こうして全体へのアプローチの必要性をさまざまなアングルから説いてきたつもりだが、最近、強制的に「細部を見る」スイッチをあえて切ることがどうしても必要ではないか、という気がしている。
しかし、細部を見ることが美点として称えられていると、ここのスイッチをオフにするのは後ろめたい。得意を活かす、という原則に反するではないか、と。
