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コロナにも打ち勝つ“究極のテレワーク”となるか 1人出版社が挑む

波溝康三

 「まず、呉に住む両親に戦争の話を聞いたら、『祖父が大和建造に関わっていたらしい』など、身近なところから戦争を経験した知人、またその知人を教えてもらいながら手探りで取材先を探していきました」。取材を進める中で丸古さんは、さらにこう痛感したという。

 「子供の頃、私は祖父母や両親から戦争の話を聞かされたことがないことに改めて気づきました。振り返ってみると、呉の戦争体験者たちは、自分から戦時中の話をしないことにも気づきました。やはり自分が聞き出して記録として残さなければ」という思いが増したという。

 呉空襲など戦争体験者に戦争の話を聞くうちに、興味のテーマは呉への関心に広がっていき、取材先も、造船関係者や旧海軍の関係者、海上自衛隊などへと広がる。出会いが出会いを呼び、呉の海軍史をたどっていく中で、海自の呉地方総監も取材に応じてくれた。

 取材で呉市の市史編纂室を訪れた際は、「片渕監督も取材のために何度もここを訪れ、あなたが今、座っているソファーに座っていましたよ」と教えられ、「大変、恐縮したことを覚えています」と丸古さんは振り返る。

 「何も知らない、だから教えてほしい」という丸古さんの体当たりの姿勢が、呉に郷土愛を抱く人たちの心を動かし、取材の協力者は増えていった。

 出版界への挑戦

 原稿を書き進める中で、このインタビューを、どうやって発表するかについて悩み始める。ネットのブログなどで紹介していくという選択肢も考えたが、本という活字文化で育った丸古さんは、「どうしても本にしたい。紙の本にしたかった」と語る。

 そこで次に丸古さんに立ちはだかった壁が、どこから本を出版するかという問題。出版社探しだった。

 「売れる本にするために、タイトルさえ著者が自由につけることもできない…。私は決して“本を売りたい、名前を売りたい”という理由で、この本を書いているのではない。しかし、こんな私の考えを理解してくれる出版関係者には出会えませんでした」と丸古さんは出版社からの刊行をあきらめ、自費出版も考えたという。だが、以前、自費出版で本を出したとき、多額の出費に対し、その出版社は本を売ろうとしてくれなかった、という苦い経験から、自分で出版社を作るしかない、と考え始める。

 だが、さらに大きな壁が立ちはだかる。出版取次の問題だ。「出版社を作って本を出しても、全国の書店に本を並べてもらうには取次と呼ばれる流通業者を介する必要があることを知りました。そして大手出版社以外で、取次にお願いするのは非常に難しいことも分かりました」

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