研究者の話はとかく退屈で、面白くない。これは世の常である。
しかし、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授(49)は違う。大阪出身だからというわけではないが、講演で必ず一度は笑いを取るなど研究者ということを思わず忘れてしまうほど親しみやすい。難解な研究内容を分かりやすい言葉で語りかけ、聴衆を説得し、共感させる。
ただ、次の言葉を口にするときだけは研究所のトップの表情に戻る。
「知的財産に精通した人材が足りない」
人工多能性幹細胞(iPS細胞)について、京大は国内外で90件以上の特許を出願中。今後は製薬会社などと連携を図る上で、これらの特許を生かすための知財戦略が重要となる。
日本のお家芸だった家電製品は、今や韓国勢が席巻している。米ディスプレイサーチによると、2011年の世界の薄型テレビの売り上げシェアはシャープ、ソニー、パナソニックの3社が束になっても、韓国のサムスン電子とLG電子を合わせた数字より約13%も下回る。
韓国製品は大量生産によるコストダウンと、ウォン安による輸出増加でシェアを拡大してきたが、日本勢が負けたのはそれだけが理由ではない。
「日本企業は知財マネジメントが十分にできていなかった」。内閣官房知的財産戦略推進事務局の安田太参事官(47)はこう指摘する。どういうことなのか?
家電製品の特許と一口に言っても、基礎技術から応用技術、製造技術と広範囲にわたる。日本企業が海外メーカーと特許契約を結ぶ場合、「これから守っていくべき技術と、ノウハウを隠しつつも権利として外部に供給する技術をうまく区別できず、結果的に基幹技術が流出してしまうケースもあった」(特許庁)と説明。将来ビジョンを描いた上で、そのビジネスモデルを知財で守れる人材が少なかったことが、韓国勢に圧倒された原因のひとつというわけだ。
産業界の要請もあり、知財に強い人材を育てようという試みが今、大学で始まっている。
大阪工業大学(大阪市旭区)は平成15年、国内の大学で初となる知財を専門とする「知的財産学部」を設け、特許庁や産業界から知財の専門家を教授として迎え入れた。
特許関係では弁理士という資格もあるが、「弁理士は特許出願などの代理業務が主体。知財戦略を練るには技術を理解していないと何もならない」と田浪和生学部長(66)は指摘する。
大阪工業大以外にも、今では一橋大学や東京工業大学などに知的財産に関する専攻があり、知財のプロを養成しようとする機運は確実に広がっている。
国も動き出した。今年1月、政府は発明した技術を活用できる専門家の育成を目指し、「知財人財育成プラン」を策定。来年3月までに国内外企業の知財戦略を収集・分析し、調査報告書をまとめるという。
「京大に来てもらえないでしょうか」
京大iPS細胞研究所知財契約管理室の高須直子室長(50)は、山中教授からこう告げられた4年前のことを、今も鮮明に覚えている。山中教授は、製薬会社の知財部門に在籍していた高須さんを京大に招きたい理由として、次の2点をあげた。
「自分はiPS細胞の研究に専念したい」
「知財係争に耐えられる組織をつくりたい」
高須さんは話す。「研究成果を『点』とすれば、知財に詳しい人がいると、それを権利化して『面』にすることができる」
注目度の高い先端研究では、特許業務に相当な時間を割かれる。しかし、それらをおろそかにすると、研究成果をライバルにかすめとられてしまう。
研究者のそばに知財のプロがいるかどうか。それが画期的な研究成果を、世の中に広めていけるかどうかのカギを握っている。(松村信仁)