新元号「令和」 込められた意義や世界各国へのメッセージを有識者に聞く
栃木県大田原市にある那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)という古い碑には、中国の則天武后が定めた年号『永昌』(689年)が書かれている。大陸の影響を受けた人たちも住んでいたので、中国の元号を使う人もいるという状況だったと思う」
--その後はどうなったのか
「この第1、第2段階が600年代ごろまでだが、自分たちで元号を作るという人たちが現れ、『大化』(645年)や『大宝』(701年)のころから独自の元号を使い始めた。これが第3段階だが、出典はあくまで中国だった。当時まだ万葉集はなく、日本国内で編まれた本はそれほどなかった。漢字2文字で元号を作るとしたら中国から持ってくるしかなかった。そして今回、出典も国書になり、1300年以上のわれわれの元号の歴史で4段階目に入ったといえる。過去に国書を理由に『この年号はよい』『悪い』と検討したことはあっても、出典にしたことはなかった」
--令和は中国にも出典があるのか
「中国の詩文集『文選(もんぜん)』に収められた張衡(後漢時代の政治家、詩人)の『帰田賦(きでんのふ)』に似たものがある。中国では、かつて自分たちが持っていた元号が日本に残っていることへのあこがれ、うらやましさがあるはずだ。両方とも出典とすれば、いま漢字文化圏で古典的な教養に基づいた行為を一番行っているという日本の文化を国際的に見せることができる。だから中国の出典も示すかなと思ったが、単独になったということだろう」(酒井充)
いそだ・みちふみ 昭和45年、岡山県生まれ。慶応大学大学院修了。平成28年から国際日本文化研究センター准教授。著書に『武士の家計簿』など。NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」の司会も務める。
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麗澤大教授の八木秀次氏
--新元号の出典は、日本最古の歌集「万葉集」で、日本古典からの引用は初めてだった
「万葉仮名で記されている印象の強い歌集だが、新元号の出典元は『万葉集』巻五の『梅花の歌三十二首』の序文として書かれた漢文。日本の漢文の文化も層が厚く、そこからの採用は妥当だろう」
--なぜ、万葉集だったと思うのか