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好奇心の赴くまま「宇宙にさわる」喜び 「小松左京マガジン」50巻で終刊

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好奇心の赴くまま「宇宙にさわる」喜び 「小松左京マガジン」50巻で終刊

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 □「マガジン」50巻で終刊 好奇心の赴くままに

 「小松左京マガジン」を、この9月28日発行の50巻をもって最終号とした。小松さんの古希を記念して道楽として始めた同人誌だ。

 小松さんは、たばこは1日120本、お酒は毎日飲むし、大阪-東京を毎週往復、海外旅行も多い。原稿の締め切り以外にもストレスがあり、これじゃ還暦までもつまいと、50歳の誕生日のとき、友人たちに盛大に祝ってもらった。

 そんな小松さんが、1995(平成7)年に起きた阪神淡路大震災のルポを1年間続けて鬱病になり、それもなんとか乗り越えて70歳を迎えられそうだという2000(平成12)年6月、「同人誌をやりたい」という言葉を発した。久しぶりに聞く「○○したい」という言葉だった。

 桂米朝さんをはじめ友人たちの賛同も得て、翌年1月にスタート。創刊号の会員は46人だった。小松さんも含めると四十七士だ。

 最初の編集長インタビューは、宇宙物理学者の佐藤勝彦さんとの「宇宙と文学」。「宇宙の歴史(ヒストリー)の中で、物語(ストーリー)は生まれるべくして生まれたのか?」という小松さんの長年の問題意識は、70歳になっても変わっていなかった。

 宇宙物理学者の語る100億年単位の宇宙の創生と現在、未来の物語は、小松さんの『果しなき流れの果に』(1965年)や『虚無回廊』(86年~未完)の世界とつながっていた。2回目のお相手は『パラサイト・イヴ』で知られるSF作家の瀬名秀明さんで「生命と文学」について。「生命はどうやって発生したのか?」と、青年のような議論をしていた。

 結局29回、編集長インタビューをやり、その中には、喜味こいしさんもいらした。8輪駆動の高速電気自動車「エリーカ」の開発者にもお会いし、試乗もした。好奇心の赴くままにお話をうかがいたい方にお会いし、行きたいところに出かけた。リニアモーターカー実験線に乗るために山梨県まで行ったし、日本の最西端である与那国島に行って海底遺跡ではないかと船を繰り出し海中撮影もしている。一緒につきあってくださる友人たちに恵まれ、会員が390人を超えたこともあった。

 37巻から45巻には、1974年から75年にかけて小松さんが蕗谷虹児(ふきやこうじ)さんら戦前からの8人の売れっ子挿絵画家にお話をうかがった未発表原稿を掲載。貴重な資料にもなっている。

 しかし実は、小松さんは70歳の誕生日の直前に、自宅で転倒して右肩を骨折しているのだ。右腕全体が真っ青に内出血して病院に行くことを勧めたが、本人は頑として「亜脱臼」で通し、エックス線検査を拒否。1カ月黙って痛みをこらえ、そのまま固めてしまった。

 「たばこも吸えるし、尻も拭けるから問題ない」と言っていたが、原稿は書けなくなってしまった。そんな身体になっても好奇心は衰えず、弱音や愚痴を漏らすことなく、冗談を言って人を笑わせ、出かけていたのだから驚く。

 無人探査機「ボイジャー1号」が昨年の8月頃に太陽系圏から離脱していたことを今年9月にNASAが発表したが、小松さんは宇宙の彼方(かなた)でボイジャーと一緒に「宇宙にさわる」喜びを共有し、交信し合っていることだろう

。(乙部順子)

【プロフィル】乙部順子

 おとべ・じゅんこ 昭和25(1950)年、東京生まれ。成城大学経済学部卒業。52年から小松左京さんの東京でのアシスタントを務める。20年前に小松さんの設立した会社「イオ」を継承。また「小松左京マガジン」(季刊)を10年以上発行し続けてきた。

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