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「言いたいことが言える」ことに寛容な土壌を イタリア人は「お節介」なのか?

安西洋之

 これらのエピソードから、ぼくは3つのことが言えると思っている(もちろん、似たような他の経験も考慮してだが)。

 一つ目は、譲れない自身の審美眼や美意識をもっている人がイタリアには多い、ということだ。

 二つ目は、その審美性や美意識を他人に押しつける人がイタリアには多い、ということだ。

 三つ目は、押しつける人が多いのは、お節介というだけでなく、人を歯車の1つとして捉える習慣を嫌う人がイタリアには多い、ということだ。「あなたの仕事はこれ」との役割分担を嫌い、それを越えてしまうタイプが目につきやすい。

 上記の一つ目と二つ目は割と一緒に語られる。三つ目も語られるが、上の二つとのセットで語られることは少なく、独立して語られることが多い。

 実のところ、三つ目は極めて微妙だ。英米のアグロサクソン系企業ほどには、業務分担を明確にしていないことが多い。それでも日本の企業と比べると、イタリアの企業の方が各自の役割がはっきりしている。

 そこで「これは自分の仕事ではない」と、余計なことには触れたがらない。つまりはトラブルが生じた時、「これは私の責任ではない!」と言って、他人から責められることから自分を守り抜くのに、全エネルギーを使い果たす傾向が強い。

 しかし、こうした組織文化土壌にあっても、驚くことに、エピソードにあるようなお節介が闊歩しているのだ。

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