高級食パンブームの仕掛け人 豊かな食文化体験で地域活性化
ホテル勤めで才能開花
スペイン・バルセロナで働くことを目標に、関西外国語大学のスペイン語学科に入学した岸本さん。語学習得に加え、旅とバンド活動にもさらに注力。「寝屋川市のレコード店などでアルバイト」に励み、稼いだお金は全て音楽とファッションと旅に費やした。「高校時代から、3歳年上の姉に買ってもらったバーバリーのマフラーをしたり、父親の革靴を履いて通学したり。大学時代はバイト代がたまるとたびたびパリなどに旅行し、ブランド物のファッションを買いあさりました。異国の食文化に触れ、食に興味を持ち始めたのもこの頃ですね」
そうこうするうちに「海外のホテルマンの質の高い給仕ぶりに感銘を受け」、就職先として、外資系のホテルと航空会社の客室乗務員をめざした。「人を感動させると同時に、自分をどう演出するかに興味があった」と振り返る。しかし航空会社は全滅。結局、平成10年に「横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ」(横浜市西区)に就職。バイキングレストラン部門を経て、ルームサービスの部門に配属されるが、語学堪能で各国の食文化に詳しい岸本さんは、ルームサービスの仕事で飛び抜けた才能を発揮する。宿泊者の部屋に料理を運ぶだけでなく「観光ガイドブックを手に、夜景のきれいな場所を助言するなど、さまざまなサービスを提供しましたね」。感激した宿泊客からのチップが次々と岸本さんのもとに。仰天した別の上司が結局、バイキングレストランの部門に引き戻したが、ここから岸本さんの大活躍が始まった。
ワインセールのコンテストではダントツの売り上げを記録。「ワインを売って、さらにお客さまからワインについて学べることがうれしかったんです」。そんなポジティブ・シンキングの連鎖は周囲を巻き込み、「岸本という新人は面白い」と評判に。シェフや総料理長も岸本さんのモノを売る才能と、ワインをはじめとする食の知識の豊富さに大いに驚いた。「当時はボーナスを全額つぎ込み、シェフたちとニューヨークなど海外に出向き、向学を深めました」
岸本さんの特異な才能を誰もが認めざるを得なくなったころ、総料理長が「君は企(くわだ)てる仕事をやりなさい」と、まだ27歳の岸本さんをバイキングだけでなく、和食、フレンチ、中華、バーラウンジなど、飲食部門の全てを担当するマーケティングの事実上の責任者に抜擢(ばってき)した。そんな総料理長の期待に岸本さんは見事に応える。
「ベルギーって、日本人の好きなビールやチョコをはじめ、ムール貝がおいしいので、ベルギーフェアをやれば当たると思ったんです」。企画書を通すため自腹でベルギーに出向き、リサーチ。現地の系列ホテルの料理長や在日ベルギー大使館などを巻き込み、全館で展開したベルギーフェアは歴史的なヒットになった。
そんなころ、父親の口ぐせが脳裏をよぎるようになる。「公務員だった父は、僕が小学生のころからいつも『拓也、喫茶店をやりなさい』と言っていました。自分で起業する勇気がなかったんでしょうね。だから僕はいずれ、何らかの形で起業をするんだろうなとおぼろげに考えてはいたんです…」