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社会
「現場の判断」貫く 福島第1原発元所長、吉田昌郎氏死去 58歳
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東京電力福島第1原子力発電所の元所長で、事故対応と収束を指揮した東電執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が7月9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳。事故当時、首相官邸の意向として東電本店から原子炉冷却のための海水注入の中止を命じられた際、独断で続行を指示し事態の悪化を食い止めた。
吉田氏は大阪府出身。東京工業大大学院修了後の1979年、東電に入社。原子力の技術畑を歩み、本店の原子力設備管理部長などを経て2010年6月に第1原発所長に就任した。
健康診断で食道がんが見つかり、11年12月に所長を退任。12年3月に手術のため入院し6月に退院したが、7月に脳出血で倒れ自宅療養を続けていた。
第1原発が初めて報道陣に公開された11年11月には事故直後を振り返り、「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」「これで終わりかなと感じた」などと語っていた。
政府の事故調査・検証委員会などは、事故直後の対応で一部に判断ミスがあったと指摘している。
事故後の被曝(ひばく)放射線量は約70ミリシーベルト。東電は放射線医学総合研究所の見解として「被曝が原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかる。事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」としている。
吉田氏は現場に介入してくる首相官邸と東電本店に対し、「現場の判断」を貫き通した。東京電力が公開した事故当時の社内テレビ会議映像などからは、事故と対峙(たいじ)し苦悩する吉田氏の姿があった。
「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」
11年3月12日、水素爆発した1号機への海水注入をめぐり、「首相の了解がない」と中断を求めた本店の指示に反し、小声で作業員にこう伝え注水を続行させた。現場ではなく官邸の意向を尊重する本店に対し、「面従腹背」で自らの判断を優先させた。
「自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。10人くらい死んだかもしれないと思った」。吉田氏は昨年8月に福島市で開かれた出版社主催のシンポジウムにビデオ出演した際、3月14日の3号機水素爆発時についてこう語った。
そんな過酷な現場に向かっていく部下や協力会社の作業員には「感謝」を超えた特別な思いがあった。
「放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。部下は地獄の中の菩薩だった」と、ビデオ映像で語っている。
事故から約2週間、不眠不休で陣頭指揮にあたっていた吉田氏。休養で福島第1原発を離れ東京にいったん戻る際、現場に残り作業にあたる所員に、目に涙を浮かべながらこう言って去っていくシーンがテレビ会議映像に残されていた。
「私は肉体的にもかなりガタがきている状態になっています。非常に忸怩(じくじ)たる思いですけれども、またここに戻ってきて、皆さんと一緒に仕事をしたいと思います。本当に申し訳ないんだけど…」
吉田氏と一緒に福島第1原発で勤務したある同僚は「とにかく部下思いの“親分”。状況を冷静に把握し、何でも相談できる上司だった」と悼んだ。(SANKEI EXPRESS)