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潜在意識への異常な過信 本谷有希子

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潜在意識への異常な過信 本谷有希子

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先月、コラムでエジプトのことを書いたので、行って来ました。ミニチュアのスフィンクスです=2013年10月27日(本谷有希子さん撮影)  【溝への落とし物】

 「自分のことはいいから」と最近よくつぶやくようにしている。

 つぶやくとは比喩(ひゆ)ではない。律義に、本当に声に出して言ってみるのだ。これはある麻雀師が語っていた、勝負の極意、のようなものである。

 他人によって自分は生かされている。つまり他の3人がいるからこそ、自分も一緒に麻雀ができるのだ、と大前提他者に感謝する。麻雀をしたことは数える程度しかないが、この言葉を聞いて、私はえらく感動した。そして私の生活にも、その素晴らしい精神が取り入れられないものか、と考えた末、とにかくことあるごとにつぶやいて、潜在意識に落とし込もうと考えてみたのである。

 私は日頃から、暗示に非常にかかりやすい。たとえば「食後2時間は血液が胃のほうに回るから、集中力が下がるらしいよ」と誰かに聞かされれば、途端にそんな気がしてくる。今までは何食わぬ顔で食事後も原稿に向かっていたのに、急に集中力が著しく低下した気がして「ああ、胃に血液が回ってる。ああ、回ってる」と仕事が手に付かなくなるのだ。睡眠前におなかに食べ物を入れると眠れなくなる、とささやかれれば、おもしろいほどその通りになる。

 「自分のことはいいから」と

 だったら、その単純さを利用しない手はないだろうと考えたのだ。そして、もはやとっくに言葉でなく音としてなじんでしまっている「おはよう」「いただきます」「おやすみ」等のあいさつを、すべて「自分のことはいいから」に置き換えてみたらどうだろうか、と目を付けた。せっかくだから、あの余っているスペースを利用してしまおうという、飛行機にスポンサー広告が描かれているのと同じ発想だった。

 そうして、とにかくあいさつ代わりにつぶやいた。起きれば「自分のことはいいから」、食べては「自分のことはいいから」、食べ終わっては「自分のことはいいから」…。運動選手が何も考えなくなるまで同じ動きを反復しつづけるように、私も自己犠牲の精神を深い部分へ植え付けようと、事あるたびに口にしたのだった。

 すると、当然のように言葉そのものの意味が崩壊した。

「ジブンノコトハイイカラ」

「ジブンノコトハイイカラ」

「ジブンノコトハイイカラって、どういう意味だっけ?」

 それでも問題ない。私の頭は理解していないかもしれないが、潜在意識の奥深くにはきっと届いているはずだった。

 ある日、私は友達と夕ご飯を食べる約束をして家を出た。

 待ち合わせ場所を間違えてしまい、私はその子に慌てて連絡を取ろうとしたが、どうにも電波の調子が悪い。向こうの携帯が故障してしまったらしく、やっとコール音に繋がったと思ったのに、今度はお互いの声が聞こえるだけの一方通行、というもどかしいやり取りを合計8回繰り返したあげく、とうとう連絡を取ることができなかった。

 ストレスに支配されそうになっていた私ははっと我に返り、こういう時こそあのつぶやきだ、とひらめいた。私はイライラと闘いながら祈るように「自分のことはいいから」とつぶやいた。

 が、どうにもならない。よし、もう一度。少しは楽になったけど、それでも8回もすれ違いの会話をくり返したストレスは治まらない。結局、私は友達に会えぬ不毛さに苦しみながら家に帰った。

 この精神には少し早かった

 あるときは、午後8時までという店に10分前に飛び込んだにもかかわらず、店員に「もうレジをしめました」と平然といわれて、私はいらだちにまみれたまま立ち尽くした。ジブンノコトハイイカラ。ジブンノコトハイイカラ。店員の怠慢もイイカラ…。イイカラ…。

 この精神を自分のものにするには、まだ少し早かったのかもしれない。

 私の日常のあいさつはすべて元に戻った。

 が、あきらめたわけではない。

 きっと数年後には呼吸するかのように、潜在意識にこの言葉が到達しているに違いない。それにあいさつはやはり「おはよう」「いただきます」「おやすみ」に限る。空いているスペースとして活用してはいけない。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としても11年、「ぬるい毒」で野間文芸新人賞受賞。短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞を受賞。最新刊は「自分を好きになる方法」(講談社)。

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