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「あまちゃん」テーマ曲誕生秘話(2-2) 気心知れた仲間コラージュで作曲
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取材に答える、休止バンド「チャンチキトルネエド」のメンバー、鈴木広志氏=2014(平成26)年(立教大学_有志記者、井上慶太郎撮影)
──「チャンチキトルネエド」はなぜ休止に?
鈴木広志氏「本田(祐也)がいなくなったときに、8回の公演が残されていて、それをやってくれって遺言があった。それで、止めることは考えられなかった。当初は、『本田が(ステージに)いる』と思って演奏しながら活動することに違和感はなかった。本田がなんだかわからないけどすごい怒っているような気がして、本田がいなくなっても勝負をしていた。本田の曲は会場の空気を巻き込むから、いなくなってからもその感じが出て、いい演奏になった。
それが、演奏しているときに違和感が出てきた。特に、いい演奏ができたときに、みんな感じたと思う。演奏がよくなってきて初めてわかったのだけれど、俺たちちょっと勘違いをしていたところがあったと思う。チャンチキに人生をかける価値はもちろんあるけど、同じメンバーでやるにしても、やらないにしても、それぞれがチャンチキくらいのことをやっていきたい、やっていくべきだと思うようになった。
大友(良英)さんと本田が似ているのは、勝負をしにいくところかもしれない。仲良くやりましょうみたいなタイプじゃなかった。大友さんも、演奏中に優しさはゼロ。普段はいい人だけど」
大口俊輔氏「大友さんは、音楽を混ぜ合わせるのではなくて、人をコラージュする作曲家だと思う。あまちゃんのオープニングテーマの譜面だけど、メロディーとコードしか書いていない。これをNHKのスタジオで配るわけ。例えば、チャンチキ(太鼓)がほしいときは、そこにチャンチキと書く。音符はないけど、大友さんは、ここでチャンチキをたたく人が誰だか知っているから、こういう書き方をする。こういう譜面だからこそ、アンサンブルができる気心の知れた人たちを呼ぶ必要があったのかもしれない。鈴木君が『ここ、俺!』という感じでソロをやったら、脇の2人は黙っている、みたいな。
大友さんよく言うんだけど、『アドリブとかをジャズの人がやると、ジャズの臭いがついちゃって、一気に音楽がジャズ化されてしまうんだけど、君たちはへっぽこなアドリブをして、ジャズ化しないからすごく新鮮だ』と。
俺らは、大友さんを通じて初めて、バンドというかアンサンブルとして、役に立つことができると気がついた。あんなに、行き詰まって休止とか言っていたのに、何か新しい風を吹き込まれて、メンバーそれぞれの反応はお互いに、『この人こんな演奏するの?』みたいな感じで、すごく新鮮だった。これ以上、何も出てこないから、休止とか思っていたのに、出るわ、出るわ。もうやんなっちゃった。俺と鈴木くん、やっぱり仕切りの能力がなかったのかって、軽くへこんだ」
──チャンチキトルネエドについて思うことは
大口俊輔氏「これまで続けてきたのは、(本田)祐也君がいなくなったことを受け入れる作業。2009年にCDを作ってからは区切りがついた気がした。それまで祐也君がいないとバンドじゃないって思っていたけど、受け入れてからは、(それぞれのメンバーが)音楽仲間として、お互い信頼できる人たちなんだなっていう仲間意識に気づいた。お互いの音楽に対して、ビシバシ言える仲間。今でも継続されているし、そのきっかけを残してくれたのは祐也君だった」
鈴木広志氏「紅白に出たのは、お祭り的には楽しかったし、チャンチキのメンバーも大好きだけど、まだ何者かになれたとは思っていない。今後の展開が楽しみ。本田がいたらどうしていただろうね」(今週のリポーター:立教大学 有志学生記者 井上慶太郎/SANKEI EXPRESS (動画))
実は私の母は以前、(東京都)調布市つつじヶ丘で行われた初期のチャンチキトルネエドの演奏を聴いたことがあるらしい。その時、本田祐也さんは、自分の曲のことを「街行く人を元気づける曲です」と紹介したという。演奏者に対しては、元気づけるどころか、「限界を超えろ!」などと怒号の指導だったそうだ。初期メンバーの渡邊理恵さんが言うには、「女性には至って優しかった」とのこと。あまちゃんのオープニングテーマ曲を聴いて、「元気づけられる」と言う人が多い。
本田さんが託したバトンが、つつじヶ丘のステージからたくさんの演奏者を経て、大友(良英)さんの背中にヒョイと飛び乗り、NHKを窓口にして全国へ届けられたように思えた。次は街を行く人が、それをどこかへ運んでくれるかもしれない。(立教大学 有志学生記者 井上慶太郎)