ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
国際
愛しのラテンアメリカ(8) 奇跡を信じない理由がない
更新
大きなマリア像の絵を背負って巡礼する信者=2012年12月13日、メキシコ・首都メキシコ市(緑川真実さん撮影) マリア像を背負って膝をつき、歯を食いしばって巡礼する信者が人混みの中から現れ、まっすぐな視線で寺院を目指している。この日はメキシコ最大の宗教行事、グアダルーペ聖母の日。現地の新聞によると、グアダルーペ寺院は1531年、先住民男性フアンの前に褐色(白人ではない)の聖母が現れ、教会建設のお告げを聞いたことがきっかけで、建てられたという。そして毎年12月12日は、寺院に向かう通りが各地から訪れた巡礼者でいっぱいになり、テレビでは盛大なミサが生放送され、カトリック教徒が約9割といわれるメキシコ中がお祝いムードに包まれる。
1531年の奇跡には続きがある。後日、聖母出現を信じない司教の前でフアンがマントを広げると、そこに聖母が映し出された。これが12月12日だったという。この時の聖母が映ったマントは今でも寺院内に額縁に入れて展示されており、諸説あるがかすかに開いている瞳の中には、フアンらが映っているという。
広場で出会った巡礼者の一人、ウリセスはメキシコ市から200キロ以上離れた都市、ケレタロから3日かけて徒歩でやってきた。見た目から50歳過ぎだろうか。彼は数年前にパーキンソン病を発症し、治癒を信じて祈り続けている。
もちろん1531年の奇跡も、彼にとっては「地球が丸い」と同じくらいまぎれもない真実だ。当初は奇跡は奇跡として捉えていた私も、信者のウリセスと一緒にまわり、知識を深めていくと、信じない理由がなくなってきた。なにより、対象にかかわらず、何かを真っすぐに信じている人には、芯がぶれない強さがある。こんなにも数百年前の言い伝えを熱弁する男性と、多くの信者に囲まれると、私も信じた方が無難だし、幸せになれる気がしてきた。
≪「OH MY GOD」 自ら考える力を≫
ウリセスは、3日間の巡礼を終え広場で寝ていたら、荷物を全部盗まれたという。とんだ災難だ。でも彼は穏やかな表情で「大丈夫」と、12月12日を祝う幸福の方が、盗難被害の悲しみより上回っているようだった。
もちろん、この宗教的お祝いに否定的なメキシコ人もいる。ジャーナリストの友人ホセは、大勢の信者が祈りをささげる華やかな光景をテレビで見ながら「OH MY GOD」と嘆く。「こうやって盛大な式で人々を魅了し、マインドコントロールして、大衆の考える力を奪うんだ。宗教は民衆を抑えるための手段になり下がったから、メキシコの政治は腐敗したんだよ」と。
同じくジャーナリストのメキシコ人、モニカも同様の意見を持ち、身ぐるみはがされたウリセスの話に「毎年いるのよね、そういう人。それで、マナミにお金をねだってきたんでしょ?」と、彼が嘘つきの物乞いだと決めつけた。
ウリセスは、私が尋ねるまで盗難の話をせず、お金もねだってこなかった。だから真相はわからない。私は彼をかばうわけでもなく、かといってモニカの意見に同調するでもなく、なんとなく「うん。よくわからないけど」と歯切れ悪く答えた。(写真・文:フリーカメラマン 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS)