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衰えぬ人気 不世出のソプラノ マリア・カラスと名歌手 月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」12月号 

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衰えぬ人気 不世出のソプラノ マリア・カラスと名歌手 月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」12月号 

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世紀のプリマ・ドンナ、マリア・カラス。(C)Ken_Veeder  不世出の名歌手マリア・カラスが残したスタジオ録音がすべてリマスターされ、輸入盤でリリースされた。CD69枚組という大ボックス。11、12月にはこの中から国内製作のSACDハイブリッド盤が25タイトル発売される。月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック12月号」は「イタリア・オペラ黄金時代 マリア・カラスと名歌手」を特集している。

 「全身全霊で感情移入して歌われた広範なレパートリーは、今も聴く者に生々しい感銘を与えている」(音楽評論家、萩谷由喜子氏)というカラスの人気は、死後37年たった今も衰えない。

 その人生は「歌に生き、恋に生きた」と称され、太く短い。1923年12月2日、ギリシャからの移民の子としてニューヨークで生まれた。母と姉とともにギリシャに戻り、アテネ音楽院で、エルビラ・デ・イダルゴという名教師に出会い、才能を開花させる。

 ニューヨークに戻り、さまざまなオーディションを受けるが、落ち続ける。しかし、イタリアのヴェローナ音楽祭の芸術監督ゼナテッロがカラスの歌を聴いてポンキエッリのオペラ「ラ・ジョコンダ」の主役に抜擢(ばってき)、イタリアに渡る。その後の活躍はめざましい。

 最盛期10年に偉業

 カラスが、プッチーニのオペラ「トスカ」のアリア「恋に生き、歌に生き」になぞらえて語られるのは、ギリシャの海運王オナシスとの恋愛と破綻が大きな要因。カラスは夫メネギーニがいながら、オナシスに走る。しかし、その頃からカラスの声は衰え始めていた。オナシスは結局、ケネディ元大統領夫人ジャクリーンと電撃的に結婚してしまう。

 カラスの最盛期は1950年代。わずか10年ほどしかなかったが、69枚のCDには、重く強い声が必要なオペラから、ベルカントものなど、多くの種類のオペラが収録されている。映画に使われた音楽を集めたCD「ピュア」も9月に発売されており、その中にはビゼーやベッリーニなど11人もの作曲家の18曲が収録されている。

 ヴェルディのオペラでは「椿姫」や「アイーダ」「リゴレット」など28曲のうち10曲をレパートリーにした。

 音楽評論家の高崎保男氏は「カラスの歌を聴いていると、そこでどんな言葉が、どんな意味をもって歌われているかを改めて考え直さずにはいられない。ひいてはヴェルディがその音楽によって何を表現しようとしたのかを明確に気づかせてくれる」と記す。

 1965年にカラスはオペラから引退してしまう。カラスはその後、日本に2度来ている。73年にはマダム・バタフライ世界コンクールの表彰式に出席。74年には、NHKホールなどで来日ツアーを行い、11月11日の札幌公演が生涯最後のステージとなった。

 来日の際、インタビューした青澤唯夫氏によると、「“世紀のプリマドンナ”の名声を十分に裏書きする文字通りのビッグステージであった」という。そして「私はマリア・カラスという〈ほんとうに生きている〉音楽家に出合った」と回想している。

 1977年、53歳の若さでパリの自宅で亡くなる。しかし、死因は分からず、友人によってすぐに火葬されてしまった。遺産を横領しようとして毒殺されたという説も出たほど。その死までスキャンダルに包まれたのはカラスらしいというべきなのだろうか。(月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」編集長 江原和雄/SANKEI EXPRESS

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