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【視点】尖閣防衛、日本にできることは山ほどある 中国の恐ろしい厚顔ぶり
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尖閣諸島を含む東シナ海上空
尖閣諸島をめぐる日中両国の応酬を通じて、何がびっくりしたといっても、中国外相の国連演説にまさるものはなかった。「尖閣諸島は日本が盗んだ」と公言してはばからないのだから。恐ろしい厚顔ぶりだ。虚偽の歴史認識を持ち出し、わが国固有の領土を強奪しようという意図が透けて見える。手をこまねいていたら、間違いなく尖閣諸島は中国の手に落ちるだろう。
日本は、米国が「日米安全保障条約の適用範囲」と表明していることに意を強くしている。しかし、仮に中国が強硬手段に出てきた場合、米国は無条件で日本を支援してくれるのだろうか。事はそう簡単ではない。日本の政府も民間も、そのあたりを楽観視しすぎてはいまいか。
日本政府が安堵(あんど)したのは、2年前のクリントン米国務長官の発言によってだ。尖閣諸島沖で、中国漁船が日本の巡視船へ衝突した事件直後の2010年9月、前原誠司外相(当時)とニューヨークで会談した長官は、尖閣諸島が日本の施政下にあるとの前提にたち、「(米軍の日本への防衛義務を定めた)日米安全保障条約第5条が明らかに適用される」と表明した。
米政府内のさまざまなレベルの高官が、その後も「最終的な領有権についてはいかなる立場をも取らない」という条件付きながら、同様の発言を繰り返してきた。
日本政府、国民が大きな援軍と感じるのは当然だろう。しかし、過去を振り返ってみると、米国がこうした見解を表明したのは、実は初めてではない。2代目ブッシュ政権時代の04年3月、国務省副報道官が、やはり主権の帰属問題に立ち入ることは避けながらも、「尖閣は沖縄返還以来、日本の施政管理下にある」として安保条約の適用範囲であることを鮮明にしている。日本でも報道されたが、当時はこの問題をめぐる緊迫感が今回ほどではなかったこともあって、国内の反応はいまひとつだったが。
その一方で、驚くべきことに、全く別の見解が示されたこともある。クリントン政権に遡(さかのぼ)る1996年10月、モンデール駐日米大使(当時)が「米国は、尖閣に介入する安保条約上の責務は有していない」と言明して、日本側をびっくりさせた。ほぼ時を同じくして、国務省報道官も「われわれの立場は、特定の国を支持しないということ」とだけ述べ、ことさら尖閣の防衛義務への言及を避ける慎重な姿勢をみせた。
他にもさまざまな発言がなされたが、こうしてみると、尖閣防衛をめぐる米側の発言は、明らかに一貫性を欠いている。とすれば、オバマ政権がいくら尖閣に安保条約が適用されると繰り返しても、額面通りに受け取り、それにあぐらをかくのは危険に過ぎるというものだろう。
日本にとって唯一の同盟国、米国を信用するなといっているのではない。「安保適用」発言について、単に言葉だけでなく、その真意、背景を十分に吟味してみる必要があるということだ。
米国内にはそもそも、日本自身が領土の守りを固め、緊急時にはまず自ら防衛努力をすべきだという考えがある。いいかえれば、安保適用表明は、自助努力が前提条件なのだ。われわれはそれを認識しなければならない。米政府の一貫性のなさは、このことに関する米国の懸念の表明だとしたら、よく理解できる。
米ヴァンダービルト大のジェームス・アワー日米研究協力センター所長は、今月12日付の産経新聞「正論」で、尖閣を高級車「ランボルギーニ」にたとえて、「日本から行動を起こすよう要請されても、米国は、高価な車を、なぜ危険地帯に駐車したままにしておいたのか当惑するだろう」と述べ、防衛のために有効な手を打っていない日本の姿勢に強い疑問を呈した。
知日派のアーミテージ元国務副長官も先月、日本のメディアに対し「日本がまずなすべきことは、抑止する十分な防衛力を持つことだ」と同様の指摘をしている。
有事にあって、最初から米国の力を頼りにするのでは、真の同盟国といえまい。米軍の出動をあてにする前に、自衛のために日本がしなければならないこと、できることは山ほどある。(産経新聞正論調査室長・樫山幸夫)