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【日本の針路 大塚耕平のスピークアウト】年金過払い返還請求の再検討を
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国から委任・委託を受け公的年金事業の運営業務を担う日本年金機構の本部=東京都杉並区 厚生労働省は3日に公的年金財政の長期見通しの検証結果を公表した。前回(2009年)の検証では、基本ケースの前提条件とした積立金の名目運用利回り4.1%、名目賃金上昇率2.5%が楽観的過ぎるとの批判を浴びたことから、今回は基本ケースを想定せず、8つのシナリオを試算している。
◆矛盾抱える現行制度
試算の現実的妥当性は今後議論されることになるが、深刻な人口減少と低成長が続く中、人口増加と高成長を前提に構築された現在の年金制度の持続可能性に問題があること自体には変わりがない。こうした試算で意図的な世論誘導を行い、年金制度改革の議論に蓋をすることは許されない。
現在の年金制度は持続可能性に問題があるだけでなく、実務的にも多くの矛盾を抱えており、改善を要する点は枚挙にいとまがない。パッチワーク的に構築、運営されてきた結果である。5月24日に出演したテレビ番組で、年金の返還請求問題が取り上げられた。「年金事務所から突然240万円の返還請求が届き、ビックリした」という視聴者からのメールに基づく話題だった。返還請求が送られてきた原因は、過去に支払われた年金給付の過払いである。
そう聞くと、「もっともだ」という意見もあるだろうが、過払いが起きた理由は日本年金機構(旧社会保険庁)の事務ミス。必ずしも「当たり前」とは言えない。日本年金機構の発表によれば、2012年度の事務ミスなどは2670件。うち、年金給付関係が1079件と最多。全体の40.4%を占める。
給付不足・未払いの場合は、事後的に支払われれば受給者も納得する。しかし、過払いの場合の返還請求には、受給者も簡単には納得できないだろう。当事者の気持ちになってみれば理解できる。
もちろん、過払い分が残っていれば、返還するのは当然。例えば、上記の視聴者のケースでは、「給付金が多すぎる」と自覚があり、手元に240万円が残っていれば、それは返還するのが筋論だ。しかし、既に手元にない場合、返還するだけの蓄えがない場合でも、返還請求が行われていることについては、よく考えてみる必要がある。
◆根拠は民法703条
返還請求を行う根拠は、「不当利得の返還義務」を定めている下記の民法703条である。「法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」。
過払い分は過去の全期間に遡(さかのぼ)って返還請求されるわけではなく、時効が成立していない5年分。これは、下記の会計法30条が根拠だ。「金銭の給付を目的とする国の権利で、時効に関し他の法律に規定がないものは、5年間これを行わないときは、時効に因り消滅する。国に対する権利で、金銭の給付を目的とするものについても、また同様とする」。
つまり、上述の視聴者は、過去5年分の時効が成立していない過払い分240万円を、民法703条に基づいて突然返還請求されたということだ。人ごとではない。あなたが当事者になった場合、どのように考え、どのように行動するだろうか。
ちなみに、年金給付関係の事務ミス1079件のうち、未払い事案が539件(総額5.5億円、平均額103.3万円)、過払い事案が241件(総額2.3億円、平均額99.4万円)。繰り返しになるが、返還するだけの蓄えが十分にある場合には、当然返還すべきもの。しかし、既に手元にない場合、蓄えがない場合、どうするのだろうか。
そこで、返還請求の根拠となっている民法703条について、深く考えてみる必要がある。まず、「法律上の原因なく」というくだりは「法律上の根拠なく」という意味であり、事務ミスによって法律に定めた金額以上の給付を受けてしまうこともこれに該当する。この点は理解できるが、ここから先に2つの重大な論点がある。
ひとつは、「他人の財産又は労務によって利益を受け、他人に損失を及ぼした」というくだりの「他人」の定義だ。現在の考え方は、この「他人」は「年金制度に加入している他の人」であり、過払いによって「他の人に迷惑をかけ、不公平だ」という解釈である。過払いを受けた「本人」とそれ以外の年金加入者である「他人」の間には、何の接触もつながりもない。「本人」と「他人」の間に介在するのは、事務ミスを犯した日本年金機構。ところが、日本年金機構はどこにも登場しない。
過払い分の返還請求権は、国つまり日本年金機構が保有・行使するものであり、日常的な感覚では、この場合の「他人」とは日本年金機構であると思うのが普通ではないか。しかし、国つまり日本年金機構は国民の代理人であり、法律的な返還請求権は「他人」たる「本人」以外の年金制度加入者。こう考えるからこそ、民法703条を根拠としている。つまり、「他人」の定義が、日常的な感覚と、法律的な解釈で異なるということだが、日本年金機構の事務ミスが不問に付されるというのは合点がいかない。
もうひとつの論点は、「その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」というくだりの「その利益の存する限度において」の解釈。例えば、既に過払い分を使ってしまい、相当分の貯蓄もない場合、どうするのだろうか。過払いを受けていた夫が死亡した際には、相続人である妻や子供にも返還請求が及ぶ。しかし、夫の相続財産がほとんどない場合、どうするのだろうか。
こうした場合の検討はほとんど行われていないようだが、「その利益の存する限度において」というくだりから解釈すれば、相当分の貯蓄も相続財産もないケースにおいては、返還義務がないといえるのではないか。このくだりは、法律家の間では「現存利益の返還義務」と言う。つまり、既に「現存利益」がない場合には、返還義務がないということだ。従来は民法703条を根拠に当然のように行われてきた事務ミスによる過払いの返還請求だが、再検討が必要である。
◆ヒントは内払い調整
この問題を考える際に、もうひとつ参考にすべき現行制度の仕組みがある。それは「内払い調整」である。「内払い調整」とは、例えば、夫の死亡届の提出が遅れたり、出し忘れたりして、本来であれば停止すべき年金給付が支払われたときなどに、その後に妻に支払うべき年金の内払いとみなして調整を行う仕組みだ。国民年金法21条に定められている。「内払い調整」に関する例外規定に、今回の年金過払いの返還請求を再検討する際のヒントがある。
その例外規定とは、「計算間違いの場合には内払い調整の規定は適用されない」ことを定めた1965年9月3日の通達。つまり、事務ミスの場合の例外規定を定めている。同様に考えれば、過払いの返還請求についても、日本年金機構自身の事務ミスの場合には、何らかの工夫があってしかるべきだ。
さらに、国民年金法24条には「給付を受ける権利は、譲り渡し、担保に供し、又は差し押さえることができない」とも定められている。これらを総合すると、今回の視聴者のような場合、仮に過払い金が既に存在しないとすれば、保険給付の差し押さえや内払い調整は行われるべきではない。もちろん、繰り返しになるが、もらい過ぎの自覚があり、過払い分が残っていれば、返還するのが筋であることは再度念押ししておく。日本年金機構には大いに反省して正確な事務を行うことを求めたいと思うが、年金制度は複雑で難解。事務ミスは一定の確率で発生するだろう。
制度そのものを簡素で理解しやすいものに抜本改革する必要性はますます高まっている。楽観的な年金財政検証結果を流布して、制度改革論に蓋をすることは許されない。
また、過失や不注意で発生した事務ミスで年金財源を毀損(きそん)する場合に備えて、職員給与の一定割合(例えば0.01%)を損失引当金として共同で積み立てるなどの努力も必要だろう。そうでなければ、国民の納得が得られない。
日本年金機構のみならず、行政のさまざまな過失責任に備えて、議員などを含む公務員全体でそうした制度を構築するのも一案だ。もちろん、重大過失を犯した当事者は何らかの責任をとるべきである。
しかし、最も不条理なのは、年金制度の不備や過去の重大な事務ミスに責任のある政治家、幹部官僚、職員は、既にリタイアし、悠々自適の生活を送っていたり、死亡している。現在の関係者だけを責めるのは少々酷かもしれない。この不条理は、耐え難く、かつ解決し難い不条理である。
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【プロフィル】大塚耕平
おおつか・こうへい 1959年生まれ、名古屋市出身。早稲田大学政経学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て2001年から参議院議員。内閣府副大臣、厚生労働副大臣を歴任。早稲田大学と中央大学大学院の客員教授。著書に「公共政策としてのマクロ経済政策」など。