注目される「災害情報無用論」 浸水被害で問われる避難のあり方
だとすれば、もはや【避難情報】の目的は、風水害の被害を最小限に食い止めるためではなく、住民やメディアからの責任追及を回避するための単なるアリバイ作りに成り下がってしまうのではないかと危惧する。少なくとも、われわれは、この【避難情報】を、命を守る行動を開始するか否かの判断の唯一のよりどころとして利用したり依存したりするのはふさわしくない。もっと重視すべき情報は他にある。
洪水ハザードマップを有効活用してきたか
【防災気象情報】には、たとえば氾濫危険情報や土砂災害警戒情報などが含まれる。浸水被害の予兆現象、すなわち雨や河川水位の増減を連続的に把握することができる。ただ、これらの情報は、【避難情報】のように行動内容やタイミングを具体的に指南してくれるわけではない。その判断をするのは私たち自身だ。災害時においてわたしたちは、【避難情報】の対象か否かだけで一喜一憂するのはもはや本質的ではない。より生の情報、すなわち【防災気象情報】に目を向けるべきだろう。
元年の出水期、日本各地で甚大な浸水被害が生じた。想定外ではない。広辞苑(第六版)によれば、「河川が運搬した砕屑物(さいせつぶつ)が堆積して河川沿いにできた平野で、高水時に水をかぶる」場所のことを“氾濫原”と呼ぶ。好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちの多くは氾濫原に住んでいる。その事実に、【避難情報】や【防災気象情報】を聞いて初めて気づくのでは遅過ぎる。
たとえば洪水ハザードマップは、最低限の浸水リスクの可能性を事前に自覚するための大きなヒントになり得る。現に、元年の浸水被害の多くは、そこに示される浸水想定区域のなかで起きた。おおむね起こり得るところで起こったと言わざるを得ない。全国各地で「洪水ハザードマップに示されている洪水が起きている」と言っても過言ではない。
しかし、われわれはこれまで、この大きなヒントを最大限に有効活用してきただろうか。洪水ハザードマップについて「知らない/知っている」とか「見ていない/見た」とか「そんな大げさな浸水など起こらない/起こる」というレベルの議論にとどまってしまってはいなかったか。
もうこの期に及んで、氾濫原の住民として、「洪水ハザードマップを知らない・見ていない・起こらない」などのような態度は通用しない。その次のレベルの議論、すなわち「氾濫原の住民としての覚悟」が備わっているかが問われる段階に来ている。
氾濫原の住民としての覚悟
昨年10月の台風19号で浸水した埼玉県川越市の特別養護老人ホーム「川越キングス・ガーデン」は、川越市洪水ハザードマップに示される浸水想定区域の中にある。報道によれば、この施設では、近くを流れる越辺川の決壊による浸水で一時、入所者約100人が取り残された。しかし、結果的に人的被害はゼロであった。最悪の事態を何とか避けて乗り越えることができたのは単なる偶然や幸運だけでは説明がつかない。
約20年前の水害でも浸水した場所なので、その経験を踏まえてあらゆる対策がとられていた。
たとえば、新棟(C棟)はかなりの高さまで盛り土されており、救助のボートが接岸した場所は一見して2階のように見えるのだが、実はかなり高い盛り土の上に位置する1階フロアであった。毎年の避難訓練も欠かしていなかった。普段の夜勤5人体制を当日は19人増員して台風19号に対峙(たいじ)した。