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個人の経験や思いには普遍性がある 自分を起点にして書く理由

安西洋之
安西洋之

 この連載をお読みになっている方はお気づきだと思うが、ぼくは自分が直接経験していること以外の話題についてはコラムのネタとしてあまり書かない。一次情報としてのニュースを読んで、それへの感想や批判をもとにする文章を(たまには書くが)積極的に書かない、ということだ。

 自分の書く文章について、いつそういう方針にしたのかはっきりは覚えていない。何かがあって180度転換したのではなく、じょじょに転回してきた。10数年前、一時、毎日ブログに数本のニュースを書き連ねていたことがある。あの頃が転機だったのではないかとは想像する。

 欧州の各国のニュース、それも大手主要紙だけではないメディアも記事を毎日チェックし、小国やマイナー言語の国の動向も含めて欧州全体を把握しようと努めた。それによって分かったことも多いが、一番の収穫は「分からないことが多い」との認識を得たことではないか。

 マイナー言語の国の英語の記事を読めば読むほど、そうとうのバイアスがかかっていることに気づく。イタリアのことをイタリア語の新聞で読むのと英語の新聞で読むのでは両者に差がある。

 そういうギャップを想像しながら他国に関する英語の記事を読むと、「多分、このあたりは状況や背景が読み切れてないだろう」との部分が見えてくる。そうすると、この記事を取り上げて意見を加えるのは、ぼくの役割ではないと思えてくるのだった。

 一方、自分のよく知っている領域をネタに書くのが、必ずしも世界を狭くすることでもないと分かってきた。

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