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「人生の主人公は自分である」 生きること自体を楽しむイタリア人

安西洋之
安西洋之

 よく日本の雑誌がイタリアのライフスタイルや職人の言葉を「かっこいい」と形容したりする。「あれは本当の姿なのか?」とも聞かれる。

 まず、かっこいいかどうかは主観的に感じることなので、そう判断するかどうかは人の勝手だ。しかも、イタリアで見慣れた風景であり気に留めることもないことも、およそ日本の風景と比較してハッとすることが多いのだろうから、これは文化差によって生じる現象とも言える。

 さらにイタリアの美学を言うならば、かっこよくする工夫をあまり表に出さないことを趣味の良さとするので、自己陶酔的な、演じた(過ぎた)姿はいただけない。

 結局、前述の「生活を楽しむ」と同じで、人は自分自身のやりたいこと、語りたいことを喋るだけだ。そのなかで、若干、イタリアの人は第三者の視線を意識しているとの傾向はある。

 ただ、第三者を意識するといっても、広場のカフェの椅子に座る人たちの前を歩くときに、その人たちからの視線を気にする程度の意識を指す。それは社会生活を送るうえでの最低の緊張感である。

 あえて日本の光景との比較でいえば、日本での第三者の視線とはわりと「村的な構造のなかでの他人の視線」としてのネガティブな側面が強いかもしれないが、イタリアでは「他人を愛でる」というポジティブな側面が強調されることも多々あるという違いだろうか。

 よって、振る舞いが「堂々としている」ことが大事で、それが「かっこいい」と評価されるかもしれない。

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