
日本代表対ボリビア代表で、賀川浩氏(右)に花束を渡し記念撮影に応じる森保一監督=ノエビアスタジアム神戸(寺口純平撮影)【拡大】
賀川さんによると、兄の太郎さんは、体つきもプレースタイルも若い頃の香川に似ていたのだという。そういった縁もあり、賀川さんは対談で、司令塔役に徹する傾向のあった香川に積極的にゴールを狙うよう促していた。
その後の香川の活躍ぶりは、ご存じの通り。10年にドイツ1部リーグのドルトムントに移籍し、12年にはイングランド・プレミアリーグの名門、マンチェスター・ユナイテッドにステップアップ。W杯には14年ブラジル大会と18年ロシア大会の2大会に出場した。
だが、順風満帆なサッカー人生だったわけではない。初めて背番号10をつけた11年のアジア・カップでは準決勝の韓国戦で右足小指の付け根を骨折。チームの優勝を見ることなく途中離脱を余儀なくされ、帰国して手術を受けた。
退院早々。松葉杖の香川は産経新聞のインタビューに応じ、背番号10への思いをこう語っていた。「(中村)俊輔さんがずっとつけていたし、日本代表にとっては特別な番号。チャンスメークをするイメージがあると思うが、僕は違う。得点を奪うことだったり、ゴールに向かうことの方が大切」。賀川さんの指摘があったからかどうかは分からないが、香川の中で目指すプレーが変化していた。
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1974年の西ドイツ(当時)大会からW杯を10度取材した賀川さんは2015年に日本人で初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞。太郎さんに続いて10年に殿堂入りも果たしている。「技術論から人物史までさまざまな角度から世界と日本のサッカーを書き続けてきた」のが高く評価されたからだ。