ぼくの奥さんも日本人であるが、息子をミラノで生み、現地の学校に通わせてきた以上、言葉も文化もイタリアを第一優先に育ててきた。このような環境にいながら、「日本文化も日本にいる人と同じように学ぶように」と要求するのは酷だ。
友人も知人も欧州人が殆どである社会で生活しているのだから、息子自身も将来日本で仕事をすることを想定するのではなく、欧州をベースに考えるのが妥当だと確信し、ぼくもそう考えてきた。
マレーの指摘する「歴史ある建物に対する態度」が、息子の場合、憎悪でないのは明らかに分かっている。少なくても「つながりを保つ」「尊び続ける」のどちらかだろうが、その度合はどんなものなのかが気になりだした。
およそ30年前、日本の大学時代の友人が欧州に遊びにきた際、「我々のような異邦人は欧州の街の風景を汚してはいけない。そういう意味であまりラフな格好で欧州の街を歩かないようにしている」と彼は話した。
そのセリフは少々神経過敏ではないかと、30年前に感じた。現在もそう思う。しかし、彼の言わんとするエッセンスの重要性は、より増していることを感じざるを得ない。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。