話の肖像画

25歳で任され、「商売人」から「経営者」へ ファストリ・柳井正氏(8) (2/3ページ)

 仕事はつらいものの、商売というのは売ることだけではなかった。商品の仕入れ、売上金の精算から銀行への入金、決算が終わって税金を納める、面接して社員を採用する、など毎日いろんなことがあったので、次第に面白みを感じてきていました。時間があれば、さまざまなビジネス書を乱読していました。

 当時は「青山」「ゼビオ」などと同じ、紳士服の協同組合に所属していて、郊外型店舗の勃興期にありました。同じ仲間が株式市場に上場していくなかで、当社は紳士服では小規模であり限界を感じていました。カジュアルウエアで郊外型店をやったら面白いかもしれないと漠然と思い始めていました。

 〈昭和59年、ユニクロ第1号店を広島市に出店。60年には郊外型店舗を出店し、その後のユニクロ店舗の原型となる〉

 平成3年に本部社員を集めて、社名をファーストリテイリングに変更すると宣言しました。当時は29店舗だったが、チェーン展開で毎年30店舗増やして3年後に100店舗にし、株式公開を目指す、と表明しました。商売人から経営者へ変わるのです。そして、6年には広島証券取引所に株式を上場しました。

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