ミラノの創作系男子たち

虐殺の地に「金色の花」2万7000本 歴史の記憶をとどめるために (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 作品を観賞する人が、歴史の記憶を受け身ではなく、自分の人生のどこかに「関与するもの」として組み込んで欲しい、とジャンニは願っているのだ。

 「ぼくは、陰や境界に存在することに興味がある。ほっぽっておくと忘却のかなたに消えてしまうことを、とどめておくためにどうすればいいかを考えている」

 ぼんやりとした存在に輪郭を与え、それを明るみに出すことが最良の手段ではない。注目すべきことが多すぎる状況に人は堪えられるわけがない。他方、アンナのような立場に誰でもなりうる。人の運命は「たまたま」の連続だ。

 最近、よく日本で見られる表現を使うならば、「解像度を高くしないで、あることを記憶の隅に(ポジティブに)そっとおいておく」のがジャンニのアプローチではないか。

 こういう世界を追っているからといって、少年の頃に夢をもったファッションの世界に距離をもっているわけでもない。もしファッションハウスからデザインの依頼があれば受けるか?と尋ねると、「喜んで」と声を弾ませる。

 彼はブレシアの美大で教壇に立っているが、学生たちにはファッションショーをみせるようにしている。アートと扱う表現言語は違うが、時代の考え方を解釈するに絶好の機会であると考えている。

 ただ、時と共に社会におけるファッションの位置は変わった。かつて服は長い人生に意味を与えることがあった。だが、今はそこまで1つの服が長い期間、人生に価値を持ち続けることはない。それでもファッションを見続ける意義はある、とジャンニは信じている。

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