先のケースであれば、「競合コンペで負けた」(A)→「負けは失敗で、辛い、恥ずかしいことだ」(B)と考える人は、「失注してしまった…失敗だ」(C)と思う訳です。しかし、「競合コンペで負けた」(A)→「負けは自分が足らない部分に気づき、学べるチャンスだ」(B)と考える人は「なぜ負けたかを分析して次のコンペに活かそう」(C)と思いますし、→「負けは、自分との相性が合わないということ」(B)と考える人は「相性の悪い顧客と付き合うことにならなくて済んでよかった」(C)と思います。
起きている出来事はあくまでも中立的なもので、それをどう解釈するかで私たちの感情や行動は180度変わります。その解釈の仕方次第で、同じ現実を生きていても、ある人は不遇な人生を歩むことになり、ある人は超ハッピーな人生を歩むことになる。大げさに言えば、人生も大きく変わるのです。
「刺激」と「反応」の間には「選択」の自由がある
<経営者は概ね楽観的である>というのは、同じトラブルが起きても、普通の人が「ああ、どうしよう、困った。やばい、もうだめだ…」と捉えるところを、「おお、これは挽回、成長のチャンスだ。さて、どうクリアしてやろうか!」とポジティブに捉える習性を身につけているからなのです。
私のリクルート時代の上司でもあった、リンクアンドモチベーション社の小笹会長が、講演などでよく話されていたアドバイスに、何かトラブルが起きたときに、「そうか、ちょうど良い、これを機会に~」と捉えることで、次に繋がる改善改革アクションとしよう、というものがあります。できるリーダーに共通する出来事の捉え方、解釈力は、こうした部分に表れると思います。災い転じて福となす、というのは実際の日々の物事の捉え方にあるのです(転んでもただでは起きない、とも言いますね)。
私自身は、この考え方を初めて学んだのは20代の時に会社で受けた「7つの習慣」研修でした。
コヴィー博士は「第一の習慣:主体性を発揮する」で、「刺激と反応の間には選択の自由がある」と言っています。<刺激→反応>ではなく、<刺激→選択→反応>と、間に「選択」がある。刺激に対して自分がどう思うか、捉えるか、行動するかは自分次第。刺激と反応の間に、我々は「選択の自由」を持っている、という考え方を紹介していて、当時衝撃を受け、なるほど!と思いました。
その研修、あるいは元となる書籍『7つの習慣』においても明示はされていませんが、これはまさにコヴィー博士がABC理論を引用したものでしょう。
雨が降っても喜ぼう。顧客クレームが起きたらサービス改善のチャンス。部下が不満を言ってきたら、職場活性化の具体的ヒントをGET!です。
物事は全て、自分自身の捉え方次第。ただし、単なる前向きは“能天気な人”になってしまうので、念のため要注意です!
【社長を目指す方程式】は井上和幸さんがトップへとキャリアアップしていくために必要な仕事術を伝授する連載コラムです。更新は原則隔週月曜日。アーカイブはこちら