キャリア

ホリエモンが語る“修業期間”を真っ先に捨てるべき理由 職人ではなく「経営者」になれ (2/3ページ)

 学校で学んだだけの寿司屋がミシュラン掲載

 おいしい寿司のつくり方は、YouTubeで公開されている。それをちゃんと真似れば、数十年修業した腕前と、ほとんど変わらないレベルの寿司を数カ月で握れるようになる。海原雄山のような食通が相手でもない限り、絶対バレない。短期間で料理法を教えてくれる学校や料理教室だって存在する。 

 僕がそう言い始めたら、古い料理界から憤慨され、大反論された。で、実際はどうだろう。寿司屋での修業は一切せずに、寿司学校で学んだ経験だけのオーナーが開店した寿司屋が、いまではミシュランに掲載されているのだ。味と修業期間の長さは、比例しない。 「うまい寿司を握るには、人生を削り取る必要がある」なんていう、犠牲を礼賛する考え方が、根強く固定化してしまっているのは問題だ。

 寿司屋の修業はまず、閉鎖的すぎる。師匠は、弟子になった者にだけ味の秘密を伝え、ときには「盗むもの」だと、教えることもしない。肝心の秘密とは、包丁の角度を変えるとか、味つけに何かの調味料を決まった量だけ足すとか、はっきりいって「コツ」レベルの知識。そんなもの、数秒で教えてやればいいのに! と思う。

 僕が育ったインターネットの世界は、まったく逆の開放的な世界だった。システムを構築するプログラムは、ほとんどオープンソースで公開されていた。それらを若いエンジニアが勝手に書き直し、バージョンアップしていった。バグもセキュリティホールも、よってたかって改良した。

 職人の世界で言う“秘伝”を、みんなが自由に共有できた。誰でも使えるから改良は早く、新しい技術が、ものすごいスピードで次々につくられていった。だからこそほんの数年で、世界の隅々まで広がったのだ。

 みんながスマホを手に持っている時代に、閉鎖的な修業を強いるような仕事場は、完全に終わっている。何年も時間をかけないと得られないスキルなんて、世の中にほとんど存在しない。要は、苦労した上の世代が、「時間をかけないと上達しない」というポジショントークで、既得権を守るための勝手な“修業”なのだ。

 目的意識を明確にせよ

 もちろん、自分から修業したいという人の意欲は、否定しない。何年も下積みの修業をして、たしかなスキルを身につけてから、世に出ようという誠意は悪いものではないだろう。もともと不器用だから、うまくなるのに時間がかかるので長く修業したい、という気持ちも分かる。自信創出のために必要な時間だというなら、好きなように修業したらいい。

 ただ、スキル獲得のための絶対条件ではない。修業すれば人間力が身につく、などと言われるが……そんなわけないだろう。厳しい修行を積んだくせに、頑固で偏屈で、おまけに無愛想な職人がどれだけいることか。

 そもそも人間力なんていう、抽象的すぎる基準を盾に、若者から大切な時間を奪うなんて、どれだけ傲慢なのだ。修業は無意味という主張よりも、僕が問いたいのは、本質の部分だ。君が何らかのスキルを得たいと言うとき、僕は最初に訊(たず)ねるだろう。

 「目的は、何なのですか?」

 「おいしい料理で人を幸せにしたい」というのが目的なら、注力すべきは修業期間ではないはず。SNSや食べ歩きを駆使した情報収集や、流行っている店のつくり、料理人のパフォーマンスを学ぶことの方が大事だ。目的が「長く修業したい」のだったら、どうぞ好きなだけ、下積みを延々と続けてください。目的がお客さんに向いているのなら、修業は真っ先に「捨てて」いい対象だ。

 独学で寿司職人になったAさん

 もう少しだけ寿司の話をしたい。知り合いの経営者のAさんは、独学で寿司職人になった。Aさんはまさに「修業はいらない」を、地で行った人物だ。Aさんは音楽業界とのつながりがあり、プライベートで海外の大物ミュージシャンなどを招き、寿司屋で接待していた。

 彼らが寿司をおいしく食べてくれるのはいいのだが、ミュージシャンたちはカウンターの向こうの大将の華麗な包丁さばきを「Great!」「Fantastic!」と褒めまくる。それが、全然面白くなかったという。「俺が苦労して予約して、高い金を払っているのに、俺には注目が集まらない」とのことだ。

 そこで「ならば寿司屋になろう!」と決めたそうだ。もちろん寿司屋の経験はゼロ。

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