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「教養がないと欧州人から相手にされない」の嘘 問われるのは俯瞰的な視点 (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 さて、少し方向を変える。

 かつて20世紀の後半期、「日本ではこうだ」という会話が一方的に欧州人に通用した(ように見えた)のは、日本が経済大国として敬意を表され、多くの指針を欧州の人にも提供すると見なされたからである。

 しかしながら文化としての面白さという次元はさておくと、2019年現在、「日本の場合は」というネタの有難味は減じ、つまりはその話題に耳を傾ける人の表情は昔ほどには輝いていない。

 日本人が日本経済・文化を雑談のネタに持ち込むのは、お互いの共通の話題の不足を補うための「逃げ道」でもあったのだが、その手法があまり使えなくなった、ということでもある。

 他方、欧州人が日本ネタを持ち出す背景には、次のような事情もあったかもしれない。

 留学や駐在から日本に戻った人が、よく「欧州では歴史や文化の話が根付いている。日本のことを聞かれて答えられずに恥をかいた」と反省する。

 これも穿った見方をすれば、欧州人が日本人を相手に共通の話題を見つけにくく、お手軽な着地点として日本の歴史や文化のことを聞いた可能性も高い。それも、歴史や文化に対する「あなたの解釈」が聞きたかったのに、あなたの知識が試されたと思い違いをしていた場合が多々ありそうである。

 そう、基本的にどのようなときでも、相手は「あなたの見方」を聞きたい。

 現在の社会現象や問題を俯瞰的な視点や多角的な視点で話すのは食事の席でも歓迎されるが、「俯瞰的」や「多角的」は教養をバックボーンとするのだ。

 というわけで、「アートの話ができないと相手にされない」というのは、極めて誤解を生みやすいアドバイスである。 

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