かつて評論家の加藤周一は次のようなことを語った。
“日本の富士山を「日本一美しい」と言う人がいれば、どうかな? と思いながらも、そう言いたい気持ちを日本人として察することができる。しかし、「富士山は世界一美しい」と表現する人は、単なる井の中の蛙だと言わざるをえない。富士山と同じように自然現象でできた形状の山は世界に珍しくない”
ローカルのユニークさをユニークであるとの理由だけで自画自賛しているのでは話にならないのである。富士山の形状もさることながら、富士山にまつわる数々の風景や逸話が社会のなかで生きているのに興味を引くのだ。
ローカルの文化的な資産は、ローカルの日常生活のなかにあって「生きている」からこそとても豊かで楽しいものになる。だから土産ものを企画するのではなく、生活する自分たちがそれでより輝けるように考えないとワクワクにならない。一時、外の人が観光客としてワクワクしたとしても、内の人がワクワクしていないと持続するものにならない。
即ち、内の人が無関心で外の人だけが関心が高い、という状況はあまりお勧めできない。内で盛り上がり、たまたま外の人に対しても売りものになるのであれば、「渋々」譲ってやればいいのだ。それが心に残る土産になる。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。