こんなアルベルトはどんな人生を歩んできたのだろうか。
「両親は十分な教育環境を与えてくれた。名門と称される学校の選択もそうだし、小さな頃から外国語やラテン語に馴染むように仕向けてくれた。特に芸術や文化の素養を得る機会は多かった。中学生の頃は毎週末晩、ミラノ市内のさまざまな劇場に連れて行ってくれた。休暇となれば欧州各地の都市で開催されている展覧会に出かけた」(アルベルト)
父親はノーベル賞をとった科学者の教授のもとで学んだエンジニア、母親は企業の幹部だった。叔母はファッション業界のアトリエのチーフスタイリストだったので、ファッションの世界を内側から垣間見ることができた。
大学では政治学を学ぶ。さまざまな機関がどのように運営されるかを理解したかった。かつ歴史、芸術、科学、経済、これらに対する素養は、人間のコミュニティが働くメカニズムを深く知るに欠かせない。
コミュニケーションの領域にアルベルトの関心が惹きつけられたのは、環境が導いた自然の成り行きだったのだろう。
大学卒業後、数年を経てファッションブランドの一つ、ドルチェ・アンド・ガッバーナの広報を務めたのだ。コミュニケーションが価値を作るに大きく貢献する分野だ。
「ある意味、文化的生産だ。商品をどう宣伝するか、ファッションショーをどうオーガナイズするか、使う声のトーン、ストーリーをどう語るか、これらが小売価格を決めるだけでなく、ブランドそのもののアイデンティティに続く長期に渡って継続する価値の創造にもつながる」
ラグジュアリーは遺産と歴史に基づく。価値をつくる際のコミュニケーションの重要さと役割を理解するにベストな土俵と言ってよい。