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「子どもにはすべてがある」 日本とイタリア「赤ん坊」観の違い (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

「人と違う個性的な子どもに育てよう」ということが日本の大人の世界で盛んに言われる。そして大人になればなったで「出過ぎた杭は打たれないことを信条に生きろ」と言われる。要は「他人とどう違いを出すかに尽力しろ」と一生言われ続ける。

 ミラノで生まれた息子を大学に通うまで育ててきた現在、そういえば、と思うことがある。日本で言われるほどに「個性的であれ!」と、学校であれ、どこであれ、周囲があまり圧力をかけていない。

 こう話すと「イタリアは自由で、それぞれが好きに主張するからでしょうね」というコメントがありそうだ。それはそうなのだが、そもそも赤ん坊をどう見るかに大きな違いがあるように思える。

 赤ん坊は生まれた瞬間から他の赤ん坊と違った存在なのだから、この違いをなるべく潰さないように育てていこうとする。だから他人と違うことが当たり前であるからこそ、それをどう守り抜くかが大きな課題になるのだ。

 一方、日本での子育て、学校教育、企業研修などの議論を聞いていると、まるで赤ん坊は均一に生まれてきた前提で話しているのではないか?と思うことがある。皆さん、赤ん坊は各自違うということを百も承知しているはずなのに、幼少期に「あれはだめ、これはだめ」「これができないと学校で苦労する」「好き嫌いを言わないのが大人」という軍隊的訓練(!)を施すことで、結果的に均一に育ててしまう。

 そして「あら!まずった」と振り返ることもなく、赤ん坊の時からどこの子も同じだったと親は子どもの過去を塗り替えていく。

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