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「子どもにはすべてがある」 日本とイタリア「赤ん坊」観の違い (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 ぼくは幼児教育の専門家ではない。その手の本を好き好んで読むタイプでもない。まったく自慢にならないが、自分の子どもを育てるに、そういうジャンルの本を殆ど読んでいない。

 ただ、ミラノから東南およそ150キロのところにあるレッジョ・エミリア市で、半世紀前にはじまった幼児教育であるレッジョ・エミリア教育アプローチにおいて基調となる、「子どもにはすべてある」という考え方が、ぼくの上述の思い付きを支えている。

 レッジョ・エミリア教育では、子どもはすべてをもっているのだから、これらをどう引き出していくかを主眼とするのである。子どもは未完成の存在で大人になるに従って完成するとの考え方をとらない。 

 ぼくの子育ての経験では、レッジョ・エミリア教育に限らず、現在のイタリアのなかで一般的に普及している子どもへの見方ではないかと思い至るのだ。

 もともとこの見方がレッジョ・エミリア教育に影響を与えたのか、レッジョ・エミリア教育が他の地域の人々に影響を与えたのかぼくは知らないが、少なくても現在、ぼくの周囲の人たちの主流の見方なのではないかとの印象をもっている。

 イタリアの人を称して「子どもがそのまま大人になったみたい」と評する日本の人がいるが、それは赤ん坊からの延長線上であることをひたすら維持した成果であると解釈できるだろう。

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