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滑舌よくスラスラ、朴訥で丁寧… 「話し方」のヒエラルキーなど存在しない (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 ある成功した若手のビジネスパーソンが、話し方は人気のYouTuberに学んだと語っていた。確かに彼の話は聞きやすい。だが、だんだんと声がぼくの頭の上を通り過ぎ去っていくような気になる。馬耳東風か。そして、「もう、聞きたくない」と思うようになる。

 何かを学ぶとき、あるモデルを真似ることは良い方法だ。練習してみればよい。だが、その後に自分なりのスタイルを作っていかないといけない。またはモデルをマスターした後、真似たモデルを使うのはどういう場面で使うと良いかを再考する必要がある。

 そうした「次の努力」をしんどいと諦めるなら(実際、自分のスタイルに昇華するのは難題)、そもそもモデルを真似る道に入らない方がマシかもしれない。

 

 確かにテレビ放送のアナウンサーは上手く話す。澱むことがない。例えば、アナウンサー出身の人がパーティの司会をしていると、聞いている人たちは一定の安心感を得ることができる。

 「この人、場を乱さずにやってくれるのか?」という不安を抱かせない。ただ、正直言って意外性がなく、ぼくには面白くないことが多い。ぼくのように感じる人間が多数か少数かは知らないが。

 もちろん、パーティの司会が担うべき役割と工房を訪ねる人に説明する職人に期待されることは違う。ぼくがここで言いたいのは、「話し方のヒエラルキーなど存在しない」ということだ。

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