それに比べると、社会問題はプロの観察と判断をあまり要さないと思われやすい。交通事故、殺人事件、教育問題、家庭内暴力、芸能人のドラッグ…と数多の種類がある。
ただ、窃盗事件についてあまりに正確な見方を披露しようもなら、逆に罪を犯した経験があるのではないかとの疑いをもたれかねない。あるいは警察関係者や弁護士かとも勘繰られる。家庭内暴力にして当事者かと思われるのを恐れ、意見を控えることもあるだろう。
それでも、ソーシャルメディアを眺めていると、どんな類の問題や事件についても人々は食いつく。まったくその分野に知識や経験がなくても、何か自分の見方を披露しようとする。
これらのなかで特に、教育問題は表現に迷うが「餌食」になりやすい。本来、多くの人が議論できるのだから肯定的な表現をすべきと思うのだが、当事者たちー子どもにせよ、親にせよ、教師にせよーにとって単に雑音でしかないことが多い。
それほどに教育は誰でも堂々と口にできる話題だ。すべての人が義務教育は受けており、子どもがいれば、最新の学校の事情をリアルに知っている、ことになっている。この場合は事情をよく知っていることに後ろめたくなく、むしろ知っていることは子育てに熱心である証明にもなる。
だが、ソーシャルメディアで教育問題に関する投稿やコメントを眺めていると、やはりこの分野をよく見ているプロの意見にはさすがと思うものが多い。