緒方さんは工学部出身のデザインエンジニアだ。まさしくその彼が、人間とテクノロジー、特に知の力をもったテクノロジーとの関係について熟考している。
イリイチが理想の道具と挙げる自転車は、6つの問いのいずれにもNOで答えられる。自動車やスマホの場合、すべてにNOとは言いがたい。
つまり「コンヴィヴィアル」であるかどうかが、第二の分水嶺を乗り越える基準になる。どの道具が機能として良いか悪いかではないし、物理的な力を主力とする道具と知的な力をメインとする道具でも違うのだ。
そこで緒方さんはさまざまな角度から、それこそ責任や寛容といった哲学的な議論に踏み込みながら話を進める。そして「ユーザーは自らをコントロールしてスマホを使う時間を減らす」といったこの手の話でよくあるポイントに着地しようとしない。
まず自ら「道具をつくる」ところまで立ち戻り、「道具を使う」のあとに「道具を手放す」という選択肢を用意するよう提案しているのだ。即ち、道具の使い方のいわば水平に広がる選択肢の一つに、それを一時的に視界の脇か外におくことを入れている。そして緒方さんは、次のようにも書く。
“ここで注意しなければならないのは、わたしたちは、本来「つくれる」し「手放せる」はずの道具であっても、生まれたときにすでに存在していたものや、認知限界を超えて大き過ぎたり複雑過ぎたりするものを、まるで自然のようなものとみなしてしまう傾向にあることだ。”