「クラフトマンシップによって作られた凝った製品がラグジュアリーといわれる傾向にありますが、それは単に職人の手によるハイスペックのモノに過ぎません。実際は、そのモノをどう扱うかによってラグジュアリーであるかどうかが決まるのです」
彼女のこの言葉を聞いて、ぼくは大きく頷いた。この視点のアプローチからすると、文化的コードに基づいたマナーが果たす意義が明白である。
ラグジュアリーには2つの指標があり、それは経済と文化だ。前者は排他性や希少性から経済的な価値を生み、後者は人とモノや体験との関係を指す。この後者においてそれなりの知識や素養が求められる。後者のない前者は単に高価な商材に過ぎない。だからマナーやエチケットを語る意味がある、とエリザベッタは強調するのである。
つまり動的文化観に基づいているのだ。「あれしてはだめ、これしてはだめ」という世界観ではない。
ところで「動く」ついでにいえば、彼女は小さな頃から身体を動かす大切さを教えられてきた。
クラシックバレーからフェンシング、スキーから水上スキー、テニスからピラテスと多くの身体の動かし方を覚えてきた。スポーツを通じて身体の健康が保たれるだけでなく、それによって頭の働きも活発になる。
そういえば、彼女の好きなアート作品のジャンルはキネティックアートである。動く作品、あるいは動くようにみえる作品である。アレキサンダー・カルダー(1898-1976)、ジャン・ティンゲリー(1925-1991)、ヘスス・ラファエル・ソト(1923-2005)などのアーティストに代表される作品だ。
エリザベッタが環境問題を専門とする弁護士である背景が、こうした話を聞いてよりよくみえてきた気がする。環境問題は一瞬の現実を切り取った状況を扱うのではない。ダイナミックなものだ。彼女のすべてへの関心にとって「動く」がキーワードなのかもしれない。
これはぼくのこじつけ的解釈だろうか?
【ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。