共通の体験がありそうでないのだ。特に90年代に入ってからは年齢も20歳前後となっていたし、価値観も多様化する。だから、仮に小山田圭吾、小林賢太郎がそのまま起用されていたとしても「誰?」という状態になった人は多かったのではないか。彼らの起用に狂喜乱舞したり、ざわつく人がいる一方で、多くの人が「この人誰?」という状態になっていたことだろう。
長嶋茂雄よりも松井秀喜で泣く
「自分たちはもう若くない」。ロスジェネ世代はリアルに中年なのだが、今回の開会式はそんな事実を突きつけられるものでもあった。
ハイライトとして語られるシーンの一つが、会場内での聖火リレーで登場した長嶋茂雄・王貞治・松井秀喜という巨人軍レジェンドトリオである。特に脳梗塞から復活し、明らかに身体が不自由な状態で姿を表した長嶋茂雄がネット上では話題となっていた。もちろん、私もこの姿には胸をうたれた。
ただ、個人的にはむしろ松井秀喜の姿を見て、心が動いた。長嶋茂雄を支えているとはいえ、足がふらつく様子などに、長年の闘いの代償を感じてしまった(本当に、長嶋を支えてよろけただけかもしれないが)。白髪も増えており、老いを感じた。松井秀喜が引退した際もそうだったが。
松井秀喜という野球選手は、私たち同世代の英雄だったのだ。私がちょうど高校3年生のとき、彼は星稜高校から甲子園に出場し、例の連続敬遠という事件が起こった。ちょうど倫理の授業でこのテーマで議論する機会があり、松井可愛そう論、同情論が跋扈(ばっこ)する中、ロック少年の私は「敬遠はルールの範囲内だ」「高校野球にはこれ以上の闇が多数ある。そちらを問題にするべきだ」と発言し、先生を唸らせた。しかし、心の中では思い切り松井に同情していた。そして、すごい同世代がいると驚愕したものだった。
気づけば、同世代のSMAPは解散してしまった。嵐も五輪前に活動を休止している。私が社会人になった頃にデビューした当時、結婚パーティーでよく聴いたMISIAは何度目かのブレークを果たし、「君が代」を歌っていた。
自分たちはもう若くない。そう感じた五輪だった。