私たちは大人にならなければならない
開会式自体の出来については、事前のバタバタもあり、賛否をよんだ。ただ、率直に私は、メッセージなどはぼやけたし、日本らしさや目新しさは弱いものの、及第点ではあったと思う。リオ五輪閉会式での東京五輪のパフォーマンスや映像は「安倍マリオ」に引きつつも、今思うとワクワクドキドキ感と、新旧の日本の魅力が凝縮されていた。それと比較すると、東京五輪の開会式は何を伝えたいのかよくわからなかったが、これもしょうがない。例のバタバタだけでなく、何のための五輪か最後には分からなくなってしまったのだから。
いかにもこの手のイベントに冷めていそうで、批判的な私だが、一応、ちゃんと見た。率直に、内向きの開会式であり、及第点レベルだなと思いつつ、感動したポイントはなくはなかった。前出の松井秀喜の姿や、森山未來のパフォーマンスなどである。
そして、まったくの社交辞令として捉え、期待していなかった東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長の挨拶には、なぜか感動してしまった。五輪開催には、コロナ前から疑問を持っていた私だが、開催推進派の、関係者の想いがなんとなくわかった。何か特別なことを言ったわけではない無難なスピーチだったが、アスリート、政治家、東京五輪の実行委員長としての溢れ出る想い、等身大の言葉にはぐっときた。
この開会式自体で、90年代カルチャーがあたかも、NHKがたまにやる若者番組的な「カルチャーをわかってやっているぞ、つかってやっているぞ」的な空気を感じてしまった。10代、20代のころの大人たちの視点を思い出した。
そして、この中途半端感。及第点、合格点なのだが、いまいちすっきりしない感じの正体は、自分たち自身そのものの問題だとも解釈した。バブルでもゆとりがなく、何か信じていたものを喪失した気分。東京五輪開会式は、ロスジェネの成人式だったのだ。「早く、大人になれよ」そう言われているように感じた。
というわけで、東京五輪開会式をみて、もう50手前なのだけど、大人にならなくてはと思った次第だ。90年代カルチャーとは何か、ロスジェネ管理職とは何か。読み解くヒントが見事に東京五輪に凝縮されていた。
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