イタリアの高度経済成長を支えたのは商業の中心としてのミラノ、自動車産業のコアとしてのトリノ、港をもつジェノヴァ、これらを結ぶ三角形であった。しかしながら半島の西に位置するトリノの地位低下が激しく、北東部のヴェネト州が注目されて久しい。
ミラノはイタリアの他のいずれの都市よりも国際都市として発展を遂げ、西側のトリノを首都としたピエモンテ州が振るわず、東のヴェネト地方が盛り上がろうと、いずれせよビジネスの中心地として存在感を発揮している。
ぼくが現在のミラノに住む前、トリノにいた1990年代前半、ヴェネトの隆盛がよく語られるのを耳にしながら、かの地の繊維・家具などの産業がピエモンテ州の自動車を越えるのだろうか、と思っていた。
ぼくはそれまで日本で自動車会社に勤め、トリノに来てからも自動車産業に関わっていたので、繊維や家具の世界の力や魅力がよく分からなかった。今でこそ、ミラノの家具見本市・サローネについて書いて語っているが、当時は家具産業より自動車産業を上に見ていた世間知らずの大ばか者だった。
今の言葉でいえば「情弱者」だったわけである。もっと冷静に自分を反省すれば、1980年代以降、世界で「おしゃれなもの」として注目されはじめていたワインの世界にも、1990年代のはじめ、ぼくは鈍感だった。
ぼくのボスがワイナリーを所有して、その地域を拠点とした文化センターのプロジェクトにぼくも関与していたが、ワインに嵌ることはなかった。