「時代遅れ」のディーゼル機関車に脚光 10年前のメモ片手に走行
被災地へ 石油列車■磐越西線確認走行で思い出した難所
磐越西線ルートでの石油輸送が決まった。線路を管理するJR東日本では、補修の人員を東北本線などから磐越西線に転進させる措置をとった。磐越西線の沿線は、水田地帯や山岳部など地盤の不安定な部分が多い。震源から離れていても揺れの影響は大きく、レールのゆがみ補正など70カ所以上の補修が必要となり、作業は不眠不休の突貫工事を強いられた。
「時代遅れ」に脚光
一方、会津若松-郡山間の運転を担う郡山総合鉄道部所属の遠藤文重さん、渡辺勝義さん、青木実さん、中村圭志さんの4人は3月21日、輸送に使うディーゼル機関車DD51の運転技術講習のため、愛知県にあるJR貨物の稲沢機関区に向かった。同機関区は日本で唯一、DD51の運転講習が可能な施設だった。
「運転の難しさはディーゼルが格段に上だ。電気機関車は自動車で言うとオートマチック車みたいなもの」。運転士はそう口をそろえる。運転免許は別だが、JR貨物でも最近では使用頻度の多い電気機関車の免許しかとらない運転士が多い。「いつまで石油くさいのに乗ってんだ」-。そういって笑う電気機関車の運転士もいた。しかし今、時代遅れのディーゼル機関車と運転士たちが、最大級の天災に見舞われながら力を発揮しようとしている。
DD51は2台を連結し、1つの運転台から操縦できる重連機能があり、その分、計器類や操作部が多い。「一つ間違えれば発進しなかったり、ブレーキがうまく作動せず事故の恐れもある」(遠藤さん)。稲沢機関区での講習は時速25キロ程度で練習線区を何往復もする。
郡山の運転士4人のうち、中村さんはDD51の乗車経験がなく、講習では苦労したという。ただ、残る3人の運転士はDD51にしばらく触っていないとはいえ十分なキャリアを積んでいる。「10分で思い出した」(渡辺さん)。
磐越西線ルートでの石油列車の初便は3月26日に決まった。初便の運転士に指名された遠藤さんは一足早く郡山に戻った。すでに線路の補修は完了しており、タンク貨車タキ1000の入線確認も、JR東日本仙台保線技術センターの尽力もあり、わずか3日で完了していた。25日には実際に短い旅客車を引いた機関車で磐越西線の確認走行が行われた。
自作のメモ片手に
車両には遠藤さんのほか、信号や保線の専門家など15、16人が搭乗し、会津若松から郡山まで踏切ごとに止まりながら時速25キロで走行。遠藤さんは勾配の確認やアクセル(ノッチ)やブレーキをかける目標物を確認しながら、走行イメージを膨らませていく。「ディーゼル機関車は惰性で走らないからこまめにノッチを開ける」。手には十年以上前に磐越西線を走ったときの自作のメモが握られていた。こうした路線や機関車の特長を列挙したメモは「あんちょこ」とも呼ばれ、運転士の財産の一つだ。
磐梯町から翁島の間、勾配が増し急カーブが迫る。谷のような地形で、冬場は雪がふきだまる。以前、遠藤さんが運転した旅客車両が動けなくなった地点もこの辺りだ。いやな記憶がよみがえったが、空は抜けるような快晴。「きっと、大丈夫」。遠藤さんはつぶやいた。
25日夕、講習を終えた遠藤さんを除く3人は新幹線と在来線を乗り継いで那須塩原に到着、タクシーで郡山に向かった。栃木、福島の県境を越えたところで、タクシーのフロントガラスに白いものが当たり始めた。「おい、雪だ」。付近をみると道路には積もっていないが草地には雪が残っていた。「まずいな。1番列車登れるんだろうか」。その不安は現実のものとなっていく。
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