量産品質に対する否定的な見解は偏見によることがままある。我々は化学調味料によって「美味しい」と感じることを認めないわけにはいかない。農家が作ったワインを生産者を前に褒めるのにいかに苦労することか。
イタリアの風光明媚な風景にある食と、東京のショッピングセンターにある食を比較するとき、料理の出来だけでなく、味以外の要素も含めて「美味しかった」「まずかった」となってしまう。だとしたら食も他の工業製品と同じように、一度は機能的価値に話しを落とし込む必要がある。
寿司は健康意識の向上が世界での普及を促した。中華料理はチャイナタウンをコアにしたように人の広がりと並行している。米国のファーストフードは、時間の節約と便宜性のあるライフスタイルが人々に受容されたと言える。食が合理的な説得なく文化圏を越えて広がるのは難しいのだ。
国を越えた食ビジネスの肝とは何だろう。