皮肉なことに西鉄ライオンズの栄枯は産炭地の盛衰とピタリと重なる。3年連続優勝後の34~35年には三池炭鉱争議が起き、石炭産業は斜陽化する。そんな時代背景だけに、38年の優勝は産炭地の人々にも希望の光となった。
だが、優勝からまもない38年11月9日、三池炭鉱三川坑(大牟田市)の鉱炭じん爆発事故が起きた。犠牲者458人と一酸化炭素中毒患者839人を出したこの事故は産炭地の衰退を決定づけた。
奇跡の優勝から今年でちょうど半世紀。73歳となった今も福岡・中洲でスナックを営む安部はこう振り返った。
「そりゃあ、優勝が決まった瞬間の球場はすごい盛り上がりだった。『もうこんな経験は2度とできない』と思ったよ。当時は自分たちが勝つことしか考えていなかった。負ければファンが怖いしね。でも今思えば、支えてくれた地域の人たちに恩返しができたんじゃないかな…」
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ライオンズのルーツは昭和24年に遡る。
「費用は惜しまないから日本一の球団を作れ! 戦後復興に尽くす福岡の人々に明るい話題を届けよう」
この年の夏、村上巧児(1879~1963)は西鉄事業部の社員らに突然こう命じた。すでに第4代社長を4年前に退任し、無役だったが、その影響力はなお絶大だった。西鉄は21年6月に社会人野球チームを発足させていたが、村上の意向には誰も逆らえず、社員らはこの日から球団結成に動き出した。