■1985年にビールの神様が降りた
《阪神21年ぶりの奇跡に救われる》
「状況が厳しくなるなか、私たちは毎晩ビールを飲んでいました。昼間がどんなにつらくとも、夜みんなでワイワイと飲むとイヤなことを忘れ、明日に向かえる。ビールとは元気が出る酒なのです。アサヒの社員は、明るくて元気なやつばかり。厳しい環境のなかでも、みんなの絆は強く結ばれていました」
ただし、現実は厳しく凋落(ちょうらく)に歯止めはかからなかった。問屋からの注文が減ると、『あの料飲店がやられた(他社のビールに切り替えられた)』とわかるようなありさまとなる。ビール需要が拡大する1980年代前半、アサヒの販売数量は伸び悩む。その結果、競合のシェアが上がるなか、アサヒのシェアはジリジリと下がり続け、84年はシェア9.7%に落ちる。翌85年は過去最低のシェア9.6%にまで落ち込んだ。それでも「夜になれば、みんなで飲み、『アサヒを推奨販売してくれる問屋さんや酒販店さんに申し訳ない』『応援してくれる得意先のためにできることは何でもやろう』などと明るく朗らかなアサヒのDNAは絶えることがなかった」。