【企業スポーツと経営】土屋ホーム スキー部(上) (3/3ページ)

2014.6.16 05:00

土屋ホームスキー部に移籍直後、地元の札幌で開かれたワールドカップで3位に入った葛西紀明選手=2002年1月

土屋ホームスキー部に移籍直後、地元の札幌で開かれたワールドカップで3位に入った葛西紀明選手=2002年1月【拡大】

  • ソチ五輪で銀メダル、銅メダルを獲得して帰国報告会に臨む葛西紀明選手(右)と伊藤有希選手(左)=土屋ホーム本社

 ◆会費制後援会で社員一丸

 スキー部創部を決意した川本氏は2001年、紹介を受けた葛西選手に初めて会った。葛西選手は高校卒業後、地崎工業(現岩田地崎建設)に入社。しかし、経営不振で1998年にスキー部が廃部されると、マイカル(現イオンリテール)に移籍した。しかし、2001年、そのマイカルも経営不振でスキー部を廃部。競技を続けるため葛西選手は受け入れ先を探していた。

 葛西選手の第一印象を川本氏は「茶髪で、やんちゃな感じの若者だった」と振り返る。そこで会社面接までに、「企業人として、ビジネスマンとしての葛西を見せてほしい」と要望。葛西選手は面接に黒髪、スーツ姿で現れた。

 葛西選手は面接で川本氏に「自分のほかに、選手2人、監督1人、またトレーナーの契約を認めてほしい」と仲間らの受け入れも求めた。葛西選手1人と考えていた川本氏だが、選手の活躍に仲間らは切り離せないと採用を決断。そこから「TEAM TSUCHIYA」が誕生、スタートした。

 土屋ホームに入社した葛西選手は「これまで10年に1人、100年に1人の選手と周りからもてはやされた。しかし29歳になった自分、また仲間の選手、監督も受け入れてくれたことがうれしかった」と、その後、何度も恩返しを誓ったという。

 川本氏はスキー部の後援会も組織。「関心を深めるために月500円の会費を取った」が、約500人の社員らが参加した。地域貢献事業として始めたスキー部だったが、川本氏は「社員も一丸となった」と、社員の結束をもたらしたという意味で経営にも大きく貢献したと考えている。(川端信廣)

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