【番頭の時代】(6)日本電産の「補佐役」たち(下) (1/4ページ)

2014.11.19 05:00

 ■40年来の「子分」はトップの分身

 ■「親分」の背中を守る“後ろの目”

 1973年の創業前から2人はまるで「親分と子分」のように、行動を共にしてきた。出会いは日本電産社長の永守重信が音響機器メーカー「ティアック」に入社し、モーター設計を手がけていた1960年代の半ばだ。

 永守が卒業した職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)の後輩だった小部(こべ)博志(現副社長)が、同じ下宿先に住む永守にあいさつに行った。すると永守はいきなりこう言った。

 「子分にしてやる」

 親分肌の永守はその言葉通り、日本電産の創業時、有無を言わせず小部を入社させた。生え抜きの小部は、いまや同社になくてならない「大番頭」だ。

                   ◇

 真夜中、学生だった小部に永守が「ビールを買うてきてくれ」と頼んだことがある。自動販売機もコンビニエンスストアもない時代だ。「こんな時間に空いている酒屋はありません」という小部に永守は命じた。

 「駅前のクラブなら開いている。そこで買ってこい」

 永守は「その当時から私の教育は始まっていた」と振り返る。

 日本電産の創業後も小部は、永守の無理な注文に振り回された。日本電産が飛躍するきっかけとなった米国スリーエムとの取引。永守はモーターの性能を変えずに、大きさは半分にするという、どう考えても無理な注文を引き受けてきた。

 手に余る要求に、やる気を失う社員もいた。それでも永守は「できるできる」と繰り返した。学生時代から薫陶を受けていた小部は、どんなむちゃでも永守が言うなら何とかなる、という信頼感があった。注文通りのモーターが完成したのはわずか半年後だった。

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