「25歳ごろになって体調が良くなりましたが、親は、一度外れてしまった人生のレールに私を復帰させようとはしませんでした。『自分で生き方を見つけなければならない』。そう覚悟を決めたときに、米国の通信大手、モトローラに採用が決まり、止まっていた歯車が勢いよく回り出しました」
その頃は通信革命の前夜。肩に背負うほど大きい無線機がやっと出始めた時代だった。男性社員を従えて、さっそうと歩くモトローラの女性役員に対し、「ハンドバッグに入るサイズの無線機やカラフルな無線機があったらいいのに」と具申した。男性たちは声を上げて笑ったが、女性役員は「あなた面白いこと言うわね」と興味を示したという。小さくてカラフルな携帯電話の時代がくるまでに、そう時間はかからなかった。
「世界にはいろんなものがある、もっと見たいという気持ちになりました。カナダの通信会社に勤め、日本人向けにつくった営業企画がビギナーズラックで大当たりしました。その後、NTTグループの米国ビジネスの立ち上げに加えてもらい、米市場の大きさと技術革新を生み出すエネルギーに触れ、胸が躍るような日々を体験しました。先輩たちの営業成績を塗り替え、いつの間にかトップを走るようになっていました」
世界の大きさを知り、「日本が一番」と信じていた概念は崩れたが、日本が持つ潜在力はどの国よりも高いと確信している。それを引き出すために必要なものの一つが、女性や高齢者が活躍できる環境だという。