本田技研工業創業者の本田宗一郎氏も第1回からレースに参加するなど、サーキットは後の自動車業界に燦然(さんぜん)と輝く巨星たちの夢の原点でもあった。
昨年末、関係者の子孫や自動車研究者らが「先人の情熱と創意をたたえ、後世に伝えたい」と、任意団体「多摩川スピードウエイの会」を設立。歴史遺産としての評価の機運が高まってきた。
元日産自動車米国法人社長で「フェアレディZの生みの親」として知られる片山豊氏を父に持つ同会の片山光夫会長(70)は、「戦時体制に巻き込まれ3年で中止を余儀なくされたが、ここで始まったレースが日本の自動車産業とモータースポーツの基盤となった」と意義を強調。