■不屈の精神と努力でピンチ乗り切る
--1964年には東京五輪がありました。折しも日本経済は高度経済成長の真っただ中。今思えば経済環境は悪くない時期でしたね
「しかしね。うまくいかないこともあります。当時のアミューズメント機器は、クレーンゲームなどが中心で、ほとんどが輸入品でした。しかも、市場はセガやタイトーの前身にあたる企業が席巻していました。私はこれを自分で作ろうと思い、京都にいた技術者に開発もさせたのですが、できた商品はろくに動かずクレームが殺到。まずいことに、資金も開発につぎ込んでいたため、底をついていました。いきなり苦戦を強いられることになりました」
--それでも諦めず、次のことを考えた。その辺がすごいところですね
「“失敗は成功のもと”といいます。ある意味では最初の挑戦は失敗でしたが、人の選び方や注意点については学ぶことも多かった。その“教訓”は次に生かされます。温泉街で既存の機械を売るなど資金作りをしていた頃に、潜水艦ゲームのアイデアが持ち込まれました。なかなか面白いアイデアで、かつ、非常にシンプルで故障もしなそう。そこで、デザイナーに頼んで筐体(きょうたい)を工夫し、『ソナーアタック』という名称で発売。これが初めてのヒット商品となりました。その後もクレーンゲーム『サミークレーン』など、ヒット商品が相次ぎました」